水防法 (アメリカ合衆国)
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水防法(すいぼうほう、英語: Flood Control Act)は、アメリカ合衆国で制定されている一連の法律である。通常、洪水やその他の自然災害のために灌漑を管理するために制定され、アメリカ陸軍工兵司令部が所管している。最初の法律は1917年に制定され、最新の法律は1965年に可決された。
概要
[編集]1849年から1936年の間に大規模な洪水被害があり、議会に立法を決意させる原動力となった。特記に値する最初の水防関連の連邦法は、1850年湿地法であった。しかし、1874年にミシシッピ川で大規模な洪水が発生し、5年後の1879年にミシシッピ川委員会が設立された。1881年にはミズーリ川ででも洪水が発生し、同時期に急増しつつあった蒸気船の交通への対処も踏まえて、1884年にミズーリ川委員会が設立された。しかし、これらの委員会は1902年港湾河川法によって廃止されてしまった[1]。ミシシッピ州、オハイオ州、および北東部のその他の川の洪水は、水防支援をもっぱらの目的とする1917年水防法の制定につながった。 1927年のミシシッピ大洪水により、大規模な治水対策資金が調達された。そして、1935年と1936年に合衆国全土で発生した洪水は、1936年水防法の成立に大きな影響を及ぼした[2]。
水防法の一覧
[編集]- 1917年水防法
- 1928年水防法 - 1927年のミシシッピ大洪水をきっかけとして成立した。本法によって、水防の理論と実践の進歩に対する国民の意識は高められた。また、当時の主要プロジェクトと同額の予算が、治水対策に付けられることとなった[2]。
- 1936年水防法
- 1937年水防法
- 1938年水防法
- 1939年水防法 - 本法によって、連邦政府が公金を支出して十分な利益が見込まれるかどうかを判断するうえでの基準となる費用便益分析方針は確立された。合わせて、「人に発生する便益は、推定コストを超える[3]」という基準も明記されている。
- 1941年水防法
- 1944年水防法 - ピックスローン水防法としても知られる。この法律によって、ラコタ族、スー族、ナコタ族の各部族は820平方キロメートルの保留地を失った。また、マンダン族、ヒダーツァ族、アリカラ族の3部族は、ガリソンダム建設のために630平方キロメートルの保留地を失った。このプロジェクトによって、1500人のアメリカ先住民族がミズーリ川沿いを追われることとなった。
- 1946年水防法
- 1948年水防法 - 本法によって、技術長は、小規模な治水対策を議会の承認を得ることなく行う権限を掌握するようになった。また、いくつかの大規模な治水対策プロジェクトが承認され、1946年水防法で定められた予算は修正された[4]。
- 1950年水防法
- 1965年水防法
脚注
[編集]- ^ “grha.net – This website is for sale! – grha Resources and Information.”. www.grha.net. March 4, 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。August 9, 2018閲覧。
- ^ a b Arnold (1988年). “The Evolution of the Flood Control Act of 1936”. United States Army Corps of Engineers. May 29, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月29日閲覧。
- ^ Google book extract from Cases in Public Policy Analysis By George M. Guess, Paul G. Farnham
- ^ “Walla Walla District Corps of Engineers Public Law Page”. August 9, 2018閲覧。