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橘修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橘 修(たちばな おさむ、1947年5月30日 - )は、日本の元プロ野球審判員パ・リーグ審判部主任を務めた。審判員袖番号は51979年採用から2003年まで)[注 1]

広陵高等学校卒業。広島市役所勤務を経て、広島県高野連審判員を務めたのち、NPB審判員となった。2003年に現役を退き、台湾プロ野球で審判技術指導員として活躍、台湾プロ野球の審判技術向上に努めた。

出場試合数

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公式戦2376試合 オールスターゲーム - 4回(85年、90年、95年、99年) 日本シリーズ - 3回(91年、00年、01年)

オールスターでは85年第2戦、日本シリーズでは91年第3戦、00年第6戦でそれぞれ球審。

1986年からインサイドプロテクターを使用。

数多くの試合に立会い、1980年10月7日近鉄バファローズが後期優勝マジック1の日本ハムファイターズに勝ちそのまま後期優勝をさらうきっかけになった試合でライト外野審判1988年10月19日川崎球場でのロッテオリオンズ - 近鉄バファローズ・ダブルヘッダー第1試合(10.19)と、2000年の日本シリーズ第6戦でそれぞれ球審を務めた。

商業労連連帯労組プロ野球審判支部の支部長もつとめ、審判地位の向上に貢献した。

脚注

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注釈

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  1. ^ 5沖克己が、1977年初採用から専任指導員となるため返上した1978年までつけていた番号である。2006年からは山路哲生37から変更し継承した。

関連項目

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