桝田八次郎
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桝田 八次郎(ますだ はちじろう、1873年(明治6年)5月7日[1] - 没年不明)は、日本の商人(呉服商)[1][2]、鳥取市収入役[1][3]。旧姓・池原[1]。
経歴
[編集]鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)、池原茂兵衛の二男として生まれる[1]。小学校中等科卒業後農業に従事する[1]。1895年に八村八次郎の養子となり、同年桝田の絶家再興をおこない、元魚町1丁目で呉服商を経営する[1]。一時は智頭街道筋で呉服商を営む[4]。
1900年に旧名・房吉を八次郎と改名し、京都呉服同業組合繁盛会地方幹事を嘱託され、1912年に廃業の居を東町に移し、1915年8月に鳥取市収入役となる[1]。
人物
[編集]1922年に刊行された『八頭鳥取地価表 弐百円以上』によると、桝田八次郎の地価所有高は「839円40銭」である[5]。
家族・親族
[編集]- 桝田家
- 妻(1873年 - ?、桝田八次郎の二女)[1]
- 親戚
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 養父・八村八次郎の長男である。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『因幡人事興信録』ま728頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月30日閲覧。
- ^ 『日韓商工人名録 下巻』鳥取市2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月30日閲覧。
- ^ 『職員録 大正14年7月1日現在』鳥取県1137頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月30日閲覧。
- ^ a b c 『鳥取市七十年 市史』405 - 406、434頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月30日閲覧。
- ^ 『八頭鳥取地価表 弐百円以上』138頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日韓商工人名録 下巻』實業興信所、1908年。
- 『八頭鳥取地価表 弐百円以上』横山書店、1922年。
- 荒木義雄編『因幡人事興信録』因幡人事興信録編纂所、1923年。
- 『職員録 大正14年7月1日現在』内閣印刷局、1925年。
- 『鳥取市七十年 市史』鳥取市、1962年。