杤木嘉郎
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杤木 嘉郎(とちぎ よしお、1889年(明治22年)11月10日[1] - 1969年(昭和44年)5月13日[2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。杤木汽船社長、貴族院勅選議員。「栃木」と表記される場合がある[3][4]。
経歴
[編集]福岡県[注 1]で実業家・杤木順作の長男として生まれる[3][4]。1915年(大正4年)早稲田大学商科を卒業した[1][2][3][4]。
1915年、杤木慎作商店に入社[1]。同年、杤木商事を設立し取締役に就任[1][2]。以後、杤木合名会社代表社員、杤木商事社長、杤木化学工業取締役、全国沿岸タンカー組合理事長、九州造船社長、船舶運営会評議員、船舶管理委員会専門委員、海事審議会専門委員、福岡県若松市会議員などを務めた[1][2]。1945年(昭和20年)杤木商事が杤木汽船に名称を変更し引き続き社長に在任した[1]。
1946年(昭和21年)5月18日に貴族院勅選議員に任じられ[1][5]、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。この間、鉄道運賃審議会委員、運輸省海運総局参与などを務めた[2]。
1947年、沿岸タンカー会長に就任し、日本海上観光協会会長、極洋捕鯨監査役、全日本観光連盟理事、国際観光会監査役、同相談役なども務めた[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『海運人』143頁では広島県。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 神坂鶴太『海運人』海運タイムス社、1958年。
- 『大衆人事録 近畿篇』帝国秘密探偵社、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。