本多富恭

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本多 富恭
時代 江戸時代
生誕 文政5年5月29日1822年7月17日
死没 文久2年7月19日1862年8月14日
改名 廉之丞(幼名)→直喬→富恭
別名 丹波、内蔵助
幕府 江戸幕府
主君 松平慶永茂昭
越前福井藩家老
氏族 本多氏
父母 父:本多副昌、母:本多副充の娘
兄弟 副尚富恭松平正方
正室:木下利愛の娘
養子:副元風早実豊
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本多 富恭 (ほんだ とみやす)は、越前福井藩家老。越前府中本多家(本多内蔵助家)第8代当主。松平忠昌の最後の男系子孫。

経歴[編集]

本多副昌の次男として生まれる。天保15年(1844年)兄・副尚の死去により嫡男となる。安政2年(1855年)越前府中の富商松井耕雪の協力で藩校・立教館を創設する。安政3年(1856年)父・副昌の隠居により家督相続する。文久2年(1862年)7月19日没。享年41。家督は養子の副元が相続した。

参考文献[編集]

  • 「武生市史」