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朝露 (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1904年度[1]
起工 1905年4月28日[1]
進水 1906年4月11日[1]
就役 1906年10月16日[1]
その後 1912年8月28日三等駆逐艦[1]
1913年11月9日座礁、船体切断、前部沈没[1]
除籍 1914年4月15日[1]
性能諸元
排水量 常備:381t
満載:450t
全長 69.2メートル
全幅 6.6メートル
吃水 1.8メートル
機関 レシプロエンジン2基2軸、6,000hp
最大速力 29ノット
航続距離 11ノット/850カイリ
乗員 70人
兵装 80mm(40口径)単装砲 2門
80mm(28口径)単装砲 4門
450mm魚雷発射管 2門

朝露(あさつゆ)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の11番艦である。

艦歴

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1905年明治38年)2月15日、命名(製造番号第11号)[2]1906年(明治39年)4月22日、駆逐艦に類別[3]。同年10月16日、大阪鉄工所桜島工場で竣工。

1913年大正2年)11月9日、七尾湾大グリ暗礁で座礁し、大破[1]1914年(大正3年)4月15日、除籍[4]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
  • (兼)遠矢勇之助 少佐:1906年7月18日 - 12月20日
  • 岡村秀二郎 大尉:1906年12月20日 - 1907年3月13日
  • (兼)遠矢勇之助 少佐:1907年3月13日 - 1907年3月21日
  • (兼)末次綱吉 大尉:1907年3月21日 - 8月26日
  • 生野太郎八 少佐:1907年8月26日 - 1908年5月15日
  • (兼)林直親 大尉:1908年5月15日 - 9月25日
  • 青木董平 大尉:1908年9月25日 - 12月10日
  • 荒城二郎 大尉:1908年12月14日 - 1909年12月1日
  • (兼)前田数馬 大尉:1909年12月1日 - 1910年12月1日
  • 中原市介 大尉:1910年12月1日 - 1912年5月22日
  • 堀江豊雄 大尉:1912年5月22日 - 1913年10月14日
  • (兼)藤田三他人 大尉:1913年10月14日 - 12月1日
  • 藤田三他人 大尉:1913年12月1日 -

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『日本海軍史』第7巻、291頁。
  2. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.205『◎驅逐艦神風外二十四隻命名ノ件 明治三十八年二月十五日(達一七)臨時軍事費ヲ以テ建造スヘキ驅逐艦二十五隻ヘ左ノ通命名セラル|製造番號 製造所 艦名|第一號 横須賀海軍工廠 神風カミカゼ/第二號 同 初霜ハツシモ/第三號 同 彌生ヤヨヒ/第四號 同 如月キサラギ/第五號 長崎三菱造船所 白露シラツユ/第六號 同 白雪シラユキ/第七號 同 松風マツカゼ/第八號 神戸川崎造船所 朝風アサカゼ/第九號 同 春風ハルカゼ/第十号 同 時雨シグレ/第十一號 大阪鐡工場 朝露アサツユ/第十二號 同 疾風ハヤテ/第十三號 舞鶴海軍工廠 追風オヒテ/第十四號 同 夕凪ユフナギ/第十五號 佐世保海軍工廠 夕暮ユフグレ/第十六號 同 夕立ユフダチ/第十七號 同 三日月ミカヅキ/第十八號 同 野分ノワキ/第十九號 呉海軍工廠 潮ウシホ/第二十號 同 子日ネノヒ/第二十一號 横須賀海軍工廠 響ヒビキ/第二十二號 長崎三菱造船所 白妙シロタヘ/第二十三號 神戸川崎造船所 初春ハツハル/第二十四號 横須賀海軍工廠 若葉ワカバ/第二十五號 同 初雪ハツユキ』
  3. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.54『明治三十九年四月二十二日(達五二)艦艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄内「響」ノ次ニ「朝露」ヲ加フ』
  4. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.57『大正三年四月十五日(達七〇)艦艇類別等級別表中「朝露」ヲ削ル』

参考文献

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  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。

関連項目

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