慈憲皇后
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慈憲皇后(じけんこうごう、? - 1153年)は、金の廃帝海陵王の母。姓は大氏。
生涯
[編集]渤海王家に連なる大昊天の娘。天輔年間、遼王完顔宗幹の側室となった。
海陵王が即位すると、皇太后となり、永寧宮と称した。
貞元元年(1153年)4月、病に倒れた際、海陵王が10万貫の賞金を懸けて名医を探したが、その甲斐もなく崩御した。「慈憲」と諡されて、宗幹(徳宗の廟号が贈られ追尊されていた)と合葬された。世宗時代の大定7年(1167年)、海陵太妃に追降された。大定20年(1180年)、遼王夫人に再追降された。『金史』には海陵母大氏と記される。
子女
[編集]- 男子:迪古乃(海陵王)、永慶
- 女子:平陽長公主
伝記資料
[編集]- 『金史』