山路こえて

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法華津峠にある「山路こえて」の歌碑

山路こえて』(やまじこえて)は西村清雄が作詞した、もっとも有名な日本人の創作讃美歌の古典。

経緯[編集]

1903年(明治36年)2月上旬、宇和島教会で伝道を続けていたアメリカン・ボードの宣教師コーネリア・ジャジソンの応援の帰り、鉄道が開通していなかったので、法華津峠鳥坂峠で夜を迎えた。大洲まで五里もあると思うと心細かった西村は、三輪源造が新作讃美歌を見せてくれたことを思い出して、『ゴールデン・ヒル』(Golden Hill、作曲は一説にAmzi Chapinとも[1])の歌調にあわせて、一句一句作った。一節できるごとに歌ってみたら、寂しさがなくなり、山路を楽しむことができた。これが、「山路こえて」という讃美歌である。これが1903年の明治版讃美歌に採用されもっともポピュラーな讃美歌になり、今日も讃美歌の404番として有名になった。讃美歌21では466番に採用された[2]1952年(昭和27年)に、この曲を作った法華津峠に歌碑が立てられた[3]

松山バンドの信徒たちは、自己の心情に福音の響きを反響させ、その信仰体験を詩歌として表明して、日本の文化的感受性をもて福音に応答するように勤めていた。この讃美歌はその信仰の姿勢の代表的な例である。[4]

歌詞[編集]

  1. 山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし。
  2. 松のあらし、谷のながれ、みつかいの歌もかくやありなん。
  3. 峯の雪とこころきよく、雲なきみ空とむねは澄みぬ。
  4. みちけわしくゆくてとおし、こころざすかたにいつか着くらん。
  5. されども主よ、われいのらじ、旅路のおわりのちかかれとは。
  6. 日もくれなば、石のまくらかりねの夢にもみ国しのばん。

脚注[編集]

  1. ^ 讃美歌略解(曲の部) 1955, p. 252.
  2. ^ 讃美歌21略解 1974, p. 292-293.
  3. ^ 讃美歌略解(歌詞の部) 1954, p. 225-226.
  4. ^ 高橋2003、122-123頁

参考文献[編集]

  • 日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌略解 前編(歌詞の部)』日本基督教団出版局、1954年12月。 
  • 日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌略解 後編(曲の部)』日本基督教団出版局、1955年7月。 
  • 日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21略解』日本基督教団出版局、1998年5月。ISBN 4-8184-0311-3 
  • 高橋昌郎帝国憲法発布まで」『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年2月10日。ISBN 4-642-03752-7https://books.google.co.jp/books/about/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99.html?id=pMYEAQAAIAAJ&redir_esc=y 
  • 高見穎治山路越えて」(pdf)『同志社時報』第6号、同志社、1963年11月、32-36頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]