山吉義盛

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山吉 義盛(やまよし よしもり)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武士山吉氏の後世系図に登場する[1]

生涯[編集]

『山吉家家譜』では長守(長盛)の嫡男・成秀(後に盛秀と称したという)の初名が義守とされる。『北越雑記』にも盛秀として越後国三条城主の一人として記載されているが、同時代史料では確認されない。また、『山吉家家譜』では成秀(義守)の三代後の当主盛忠[2]の初名が義盛とされている。

『越後三条山吉系図』[3]では山吉義正の兄およびその子[4]が義盛とされている。

脚注[編集]

  1. ^ 戦国時代以前の山吉氏の系譜の記事は信用できないとする学説(『三条市史上巻』136頁)も存在する。
  2. ^ 『山吉家家譜』では盛忠の弟義長の別名が久盛とされている。
  3. ^ 東京大学史料編纂所蔵
  4. ^ 『越後三条山吉系図』では義正の子義盛の子が久盛とされている。