山口吉右衛門

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山口 吉右衛門(やまぐち きちえもん、? - 宝暦7年(1757年)3月)は、江戸時代中期の一揆指導者。

経歴・人物[編集]

阿波名西郡高原村の先規奉公人[注釈 1][1]

宝暦6年(1756年徳島藩により藍の取引税と寝床株制度が導入されようとしていた[1]。制度の撤回を求め吉右衛門らは一揆を指導する(藍玉一揆、五社宮一揆)[1][2]。一揆は実行前に発覚し、吉右衛門ら指導者は捕えられ磔刑に処された[1][2]。没後、五社明神として五社神社に明治12年(1879年)祀られた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 徳島藩で、代々武家に奉公した者のこと。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 日本大百科全書(ニッポニカ)(小学館)『山口吉右衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『山口吉右衛門』 - コトバンク