宮古農民騒動
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この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2014年3月) |
宮古農民騒動(みやこのうみんそうどう)とは、1965年7月24日にアメリカ占領下の沖縄の平良市(現宮古島市)で発生した暴動事件。
事件の発端
[編集]当時、サトウキビ価格が暴落したことにより、製糖会社は経営不振に陥っていた。そのため琉球政府は、製糖業界の再編を琉球列島米国民政府から要請されていた。これに対して、沖縄人民党は「全沖縄キビ代値上げ農民協議会連合会(全沖農)」を組織し、再編反対運動を起こした。
宮古列島では、宮古製糖と伊良部製糖の2社合併が勧告され、この2社と宮多製糖の1社が加わった3社合併が進められることになった。そして宮古製糖は、臨時株主総会を1965年7月24日に開くことになった。
事件の概要
[編集]1965年7月23日、翌日の株主総会を控えて、反対派は株主総会会場を包囲し座り込みを行った。宮古警察署では大掛かりな警備事案になると予測し、琉球警察本部に救援を要請した。警察本部は特設警ら隊員30人を宮古警察署に派遣した。
株主総会当日、設営準備のため従業員が会場に向かったが、反対派に阻止され殴る蹴るの暴行をうけた。警察は救出に向かったが、警官隊に対しても投石が行われた。警察は宮古製糖の社員を守りつつ宮古警察署に撤退したが、群集は警察署まで追いかけて署の建物に向かって投石を始めた。ついにカービン銃で威嚇発砲を行い、ようやく沈静化した。
この事件で警察官34人が負傷し、26人が逮捕された。後に指導者の8人も逮捕された。
参考文献
[編集]- 沖縄県警察史編さん委員会編『沖縄県警察史 第3巻(昭和後編)』2002年