安部井櫟堂

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安部井 櫟堂(あべい れきどう、男性、文化2年(1805年) – 明治16年(1883年9月16日)は、近代日本の篆刻家である。

はカイ?(大+介)、は大介、は芥舟。通称音門のちに音人。はじめの姓は岡氏。近江彦根の人。

略伝[編集]

近江国に生まれたが京都富小路押小路北・南に住む。篆刻の師は不明。明治元年(1868年)、印司に任命される。60代半ばにして明治政府から天皇御璽大日本国璽の刻印を命じられ1年がかりで明治7年(1874年)に拝刻した。2つの金印は強度を保つため合金製で、櫟堂が繆篆 (びゅうてん)を用いて拝刻して秦藏六が鋳造した。重さは4.5kgあり、現在でも公文書に用いられている。

印譜[編集]

  • 『平安名家印譜』(文久元年)
  • 『鉄如意印譜』

出典[編集]

関連項目[編集]