コンテンツにスキップ

孝翼太后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

孝翼太后(こうよくたいごう、洪武30年5月16日1397年6月11日) - 天順5年12月16日1462年1月16日))は、宣徳帝の妃嬪で景泰帝の母。姓は呉氏

経歴

[編集]

鎮江府丹徒県の人。呉彦名と申氏の長女。初め、選ばれて朱瞻基(後の宣徳帝)の宮に入った[1]。宣徳3年(1428年)、朱祁鈺(後の景泰帝)を産み、賢妃に封ぜられた。

正統14年(1449年)冬、景泰帝が帝位につくと、皇太后に立てられた。英宗が復辟すると、また宣廟賢妃(宣徳帝の廟号の宣宗による)に降格した。

天順5年12月16日(1462年1月16日)、薨じた。栄思とされ、金山に葬られた。南明年間に孝翼温恵淑慎慈仁匡天錫聖皇太后の諡が贈られた。

子女

[編集]

伝記資料

[編集]
  • 『明英宗実録』
  • 『贈昭勇将軍錦衣衛親軍指揮使呉公神道碑銘』

脚注

[編集]
  1. ^ 外史によると、初め漢王朱高煦(宣徳帝の叔父)の側女であった。