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大利鼎吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大利 鼎吉(おおり ていきち、天保13年(1842年) - 慶応元年1月8日1865年2月3日))は、土佐勤王党の一人。

文久3年(1863年)に脱藩。池田屋事件では武田観柳斎とみられる隊士と戦っている。禁門の変で敗走。

その後田中光顕らと大坂焼き討ちを計画するが新選組に情報が洩れてしまう。新選組は石倉屋に踏み込み大利と斬りあいになる。大利はよく戦ったが4人がかりで斬られ死亡する(ぜんざい屋事件)。享年24。

死亡の前日(1月7日)に詠んだと言う歌が残る。

  • ちりよりも かろき身なれど 大君に こころばかりは けふ報ゆなり

明治31年(1898年)、正五位を追贈された[1]

脚注

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  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.11