塩流神社
塩流神社 | |
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本殿(2006年7月) | |
所在地 | 宮城県仙台市青葉区熊ヶ根 |
位置 | 北緯38度18分2.2秒 東経140度41分21.85秒 / 北緯38.300611度 東経140.6894028度 |
主祭神 | 武甕槌命、経津主命 |
社格等 | 村社 |
創建 | 不詳 |
塩流神社(えんりゅうじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区熊ヶ根にある神社である。江戸時代には熊ヶ根村の鎮守で、明治時代に村社になった。正式には「鹽流神社」と表記する。
地理
[編集]熊ヶ根の町の北にある赤沢山の中腹にある。南向きの鳥居は山の麓にあり、そこを通り抜けて石で固められた階段を上る。上り詰めた先の平坦面の入り口に実用本位の簡素な長床がある。長床を通り抜けて、平坦面の奥が本殿である。右に離れて鐘楼堂がある。
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鐘楼堂(写真はいずれも2006年7月)
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石段と長床
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鳥居
歴史
[編集]創建は江戸時代以前で、中世にさかのぼる可能性があるがはっきりしていない。江戸時代の安永3年(1774年)頃に作られた『安永風土記書出』には、熊ヶ根村の村鎮守として「塩流山明神社」があり、今の塩流神社にあたる。その伝えでは、塩流神社の神は塩竈明神(鹽竈神社の神の意)の姉だという。社は南向きで四尺、鳥居も南向き、長床も南向きでたて5間、横1間半あった。塩流山和光院という修験寺が別当であった。
明治時代はじめの神仏分離令により、塩流山神社に対する和光院の別当は解消になった。和光院はそのまま衰微して廃寺になった。塩流山神社は1875年(明治8年)7月10日に村社になった。熊ヶ根村が町村制の施行で広瀬村の一部になってから、1919年(明治22年)5月23日に廃止され、上愛子にある諏訪神社に合祀された。これは内務省の神社合祀政策によるもので、広瀬村の神社を一本化しようとしたものである。しかしこの後も塩流神社に対する祭祀は途切れず今に続いた。
神社は明治35年(1932年)旧暦3月10日に火災にあい、3年後の6月28日に新しく建て直された。この社殿は1954年(昭和29年)に焼失し、以後仮宮に移された。1975年(昭和50年)4月に、本殿、長床、鐘楼堂、鳥居が再建された。
参考文献・資料
[編集]- 仙台市「宮城町誌」改訂編纂委員会『宮城町誌 本編(改訂版)』、1988年。
- 『風土記御用書出』(安永風土記書出)、(仙台市「宮城町誌」改訂編纂委員会『宮城町誌 史料編(改訂版)』、1989年所収)。
- 塩流神社の本殿脇の石碑の文。
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、塩流神社に関するカテゴリがあります。