城戸忠彦
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城戸忠彦(きど ただひこ 1881年8月25日 - 1971年4月26日)は明治・大正・昭和期の海軍軍人、最終階級は海軍少将。福岡県出身、山本五十六連合艦隊司令長官とは親交が厚く、山本五十六の最後の信書(絶筆とされる)を受け取った相手として知られる。墓所は多磨霊園。
略歴
[編集]- 1904年 海軍機関学校卒業(12期)
- 1914年 海軍機関少佐
- 1915年 海軍大学選科に入学
- 1918年 海軍機関中佐
- 1920年 英国に出張し造兵監督官
- 1923年 海軍機関大佐
- 1928年 海軍少将
- 1930年 予備
- 1944年 退役
城戸大兄 九・二八(昭和十四年) 山本五十六 拝復 二十四日桃山荘よりの貴翰有難く拝受 この日小生命により上京の帰途午後三時 東京発にて下降 中秋晴れの相模灘を眺めつつ熱海を通過せしも奇なり。 秋涼 暫時清泉に都塵を洗ふの爽や羨望に堪えず候えども、三年の悪夢より離脱せる昨今の身には、この上の欲はもったいなし、いわんや将兵◯万 今や練武ともその極に達し、(中略)
新橋駅頭阿嬌の姿、某々等と論ぜむよりはむしろ波等と疾せむかな 呵々 秋涼 新御清健 敬具—山本五十六、山本五十六の最後の信書(絶筆)
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 『官報』第6387号「叙任及辞令」1904年10月12日。