坂東保長

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坂東 保長(ばんどう やすなが、生没年不詳)は、安土桃山時代の人物。徳島県の子孫を名乗る家の系図によると、阿波国戦国大名十河存保の子。伊賀守を名乗る。家紋は存保の馬印である轡紋を定紋としている。

生涯[編集]

日本系譜出版会刊行の『坂東・板東一族の系譜』によれば、保長は、天正9年(1581年9月勝瑞城を退き、阿波郡秋月村に移り住んだという。嫡男亀若丸は長じて坂東保久を名乗り、庄屋となったという。

一説には、三好長慶の叔父三好康長(笑岩)ではないかともされる。保長は合戦に敗れて自刃する際、娘に軍資金を託した。娘はその資金で阿波市成当(なりとう)の部落を建設し、成当姫と称されたという。地元には子孫が建立した坂東伊賀守神社がある。

関連項目[編集]