叔寿
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叔 寿(しゅく じゅ、?- 25年)は、中国の新代から後漢時代初期にかけての武将。豫州潁川郡の人。光武帝(劉秀)配下の将軍。
事跡
[編集]姓名 | 叔寿 |
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時代 | 新代 - 後漢時代 |
生没年 | 生年不詳 - 25年(建武1年) |
字・別号 | 〔不詳〕 |
本貫・出身地等 | 豫州潁川郡 |
職官 | 掾史〔劉秀〕→破虜大将軍〔後漢〕 |
爵位・号等 | - |
陣営・所属等 | 光武帝(劉秀) |
家族・一族 | 〔不詳〕 |
始めは新の潁川郡掾であった馮異は、更始元年(23年)に劉秀軍に捕まった後、従兄馮孝らの推薦を受けて、劉秀に登用される。その後、馮異は自身が守備していた父城(潁川郡)を開城して、劉秀の主簿に任命され、父城の長である苗萌も従事として登用された。この時叔寿は、銚期・段建(殷建)・左隆と共に馮異から同郷の士として推薦を受け、いずれも劉秀に掾史として登用され、洛陽まで付き従った。
更始2年(24年)、河北の王郎滅亡後に、銚期は虎牙大将軍に任命されており、叔寿もおそらくはこの頃に破虜大将軍に任命されたと見られる。具体的な事跡は不明だが、この昇任を見る限り、銚期同様に、王郎討伐で軍功があったと見られる。
しかし、建武元年(25年)12月、叔寿は曲梁(魏郡)で五校(河北の地方民軍)を討伐したが、この際に戦死した。
参考文献
[編集]- 『後漢書』本紀1上光武帝紀上
- 同列伝7馮異伝