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南輪内村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みなみわうちむら
南輪内村
廃止日 1954年6月20日
廃止理由 新設合併
北牟婁郡尾鷲町須賀利村九鬼村南牟婁郡北輪内村南輪内村尾鷲市
現在の自治体 尾鷲市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
南牟婁郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,689
国勢調査、1950年)
隣接自治体 北牟婁郡尾鷲町
南牟婁郡北輪内村、荒坂村新鹿村飛鳥村
南輪内村役場
所在地 三重県南牟婁郡南輪内村
座標 北緯33度57分57秒 東経136度11分47秒 / 北緯33.96589度 東経136.19633度 / 33.96589; 136.19633座標: 北緯33度57分57秒 東経136度11分47秒 / 北緯33.96589度 東経136.19633度 / 33.96589; 136.19633
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南輪内村(みなみわうちむら)は、かつて三重県南牟婁郡にあった。現在の尾鷲市の南端にあたる。

地理

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海域
山岳
  • 亥谷山
河川
  • 古川
  • 神須ノ鼻

歴史

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1871年(明治4年)には渡会県に属したが、1876年(明治9年)には三重県の所属で落ち着いた。1879年(明治12年)には牟婁郡が分割されて北牟婁郡南牟婁郡が発足し、この地域は南牟婁郡に含まれた。1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、古江浦・賀田村・曽根浦・梶賀浦の区域をもって南牟婁郡南輪内村が発足した。

1936年(昭和11年)4月3日、南輪内村賀田から飛鳥村小又に至る鳥越林道が開通した[1][2]。1954年(昭和29年)6月20日、南輪内村・北輪内村北牟婁郡尾鷲町須賀利村九鬼村が合併して尾鷲市が発足し、同日には南輪内村が廃止された。

行政

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歴代村長

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  • 1889年(明治22年) - 1890年(明治23年) 杉下寅太郎
  • 1890年(明治23年) - 1892年(明治25年) 大川佐一郎
  • 1892年(明治25年) 西崎立敬
  • 1892年(明治25年) - 1896年(明治29年) 山門源吉
  • 1896年(明治29年) - 1898年(明治31年) 森本半十郎
  • 1898年(明治31年) - 1900年(明治32年) 大川保嘉
  • 1900年(明治33年) - 1902年(明治35年) 弓場国次郎
  • 1902年(明治35年) - 1904年(明治36年) 森本半十郎
  • 1904年(明治37年) - 1906年(明治39年) 浜中精次郎
  • 1906年(明治39年) - 1911年(明治44年) 弓場国次郎
  • 1911年(明治44年) - 1916年(大正5年) 大川佐一郎
  • 1916年(大正5年) - 1919年(大正8年) 中森林助
  • 1919年(大正8年) - 1920年(大正9年) 森助左衛門
  • 1920年(大正9年) 中森林助
  • 1920年(大正9年) 中森才吉
  • 1920年(大正9年) - 1943年(昭和18年) 浜中広之輔
  • 1943年(昭和18年) - 1947年(昭和22年) 西仁郎
  • 1947年(昭和22年) - 1951年(昭和26年) 大川庄六
  • 1951年(昭和26年) - 1954年(昭和29年) 小川権三郎

出典 : 『尾鷲市史 下巻』[3]

交通

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尾鷲市発足後の1959年(昭和34年)7月15日には国鉄紀勢本線が全通し、かつての南輪内村の村域に賀田駅が開業した。

道路

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脚注

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  1. ^ 「紀南の深山を貫く鳥越林道が開通」『伊勢新聞』1936年4月3日
  2. ^ 昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』毎日コミュニケーションズ、1994年、本編p.700
  3. ^ 尾鷲市役所 編『尾鷲市史 下巻』尾鷲市役所、1971年、p.867

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24 三重県』角川書店、1983年
  • 『日本歴史地名大系 24 三重県の地名』平凡社、1983年
  • 尾鷲市役所『尾鷲市史 上巻』尾鷲市役所、1969年
  • 尾鷲市役所『尾鷲市史 下巻』尾鷲市役所、1971年

関連項目

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