須賀利町

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須賀利町
—  町名  —
須賀利町中心部
須賀利町の位置(三重県内)
須賀利町
須賀利町
須賀利町の位置
座標: 北緯34度6分11.7秒 東経136度15分57.7秒 / 北緯34.103250度 東経136.266028度 / 34.103250; 136.266028
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Mie Prefecture.svg 三重県
Flag of Owase, Mie.svg 尾鷲市
地区 須賀利
面積
 - 計 7.244541km2 (2.8mi2)
標高 15m (49ft)
人口 (2018年10月31日[1])
 - 計 222人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 519-3421
市外局番 0597
ナンバープレート 三重
※座標・標高は尾鷲市役所須賀利荒坂出張所(須賀利町176番地)付近

須賀利町(すがりちょう)は三重県尾鷲市町名郵便番号は519-3421。住民基本台帳による2018年10月31日現在の世帯数は143世帯人口は222人である[2]

尾鷲湾北部、須賀利湾に面した漁村であり[3]、尾鷲市の飛地である。尾鷲市街とは海を挟んで向かい合っている。1982年昭和57年)に三重県道202号須賀利港相賀停車場線(須賀利道路)が開通するまで自動車で訪れることが不可能であった[3]。道路の開通により、陸続きの紀北町との関係が深くなってきている[3]2012年(平成24年)9月29日須賀利巡航船が廃止されると尾鷲市から紀北町へ生活圏を移す傾向が加速している[4]

本項では同地域にかつて存在した須賀利村(すがりむら)についても記す。

地理[編集]

尾鷲市街地から見て北東に位置し、尾鷲湾の北の入り口に当たる。南側が海に面しており2つの入り江を有するが、西の入り江が須賀利漁港に指定されている。南向きの山地の山裾に扇状集落が形成されている[3]

北は矢口浦、東は島勝浦、西は引本浦と接する。隣接地区はすべて北牟婁郡紀北町の大字である。

歴史[編集]

すがりむら
須賀利村
廃止日 1954年6月20日
廃止理由 新設合併
北牟婁郡尾鷲町須賀利村九鬼村南牟婁郡北輪内村南輪内村尾鷲市
現在の自治体 尾鷲市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東海地方近畿地方
都道府県 三重県
北牟婁郡
団体コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,347
1950年国勢調査)
隣接自治体 引本町桂城村
須賀利村役場
所在地 三重県北牟婁郡須賀利村
Sugari village map.png
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江戸時代には江戸 - 大坂間を往来する廻船の風待ち港として栄えた[3]明治時代には桑名から「赤須賀船」と呼ばれる日用品を積載した船が来航したため、須賀利から出ずとも楽に生活ができた[5]。町村制施行時は、村民が単独村制を希望したものの、郡長が財政の不安定さから連合戸長役場を設置していた引本村との合併を説得して引本村大字となった[6]。しかし1897年(明治30年)2月に須賀利区会は地理的孤立と不便を理由に引本村からの分離を議決し、同年5月29日に県からの許可を得て同年6月1日から須賀利村として単独村制の道を歩み始めた[7]1915年(大正4年)、須賀利巡航船が運航を開始する。1945年(昭和20年)8月14日アメリカ軍によって爆弾が投下される[8]1982年(昭和57年)、県道開通により自動車での往来が可能となる。

沿革[編集]

町名の由来[編集]

人口の変遷[編集]

人口総数 [人口: G10.png ]

1793年寛政5年)[10] G10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.pngG01.png 363人
1869年明治2年[9] G10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.pngG01.png 436人
1920年(大正9年)[9] G50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.png 825人
1954年(昭和29年)[9] G100.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.png 1,402人
1980年(昭和55年)[11] G50.pngG10.pngG10.pngG10.pngG10.pngG05.pngG01.png 916人
2007年(平成19年)[12] G10.pngG10.pngG10.pngG01.pngG01.pngG01.pngG01.png 345人
2013年(平成25年)[13] G10.pngG10.pngG05.pngG01.pngG01.pngG01.png 283人

須賀利漁港[編集]

須賀利漁港(すがりぎょこう)は三重県尾鷲市にあり、同市が管理する第2種漁港1951年(昭和26年)7月28日に港湾指定を受けた。2006年(平成18年)の水揚量(属地水揚量)は279.2t[14]であった。

沿革

1945年(昭和20年)から当時の須賀利村が村営船溜修築事業を実施して港湾施設を整備し、1951年(昭和26年)に第2種漁港指定を受ける[14]。しかし、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風の襲来で港は全壊、翌年から復旧工事を行う[14]。その後、数回の改良工事が実施され、現在に至る。

三重外湾漁業協同組合紀州南支所須賀利出張所[編集]

三重外湾漁業協同組合紀州南支所須賀利出張所(みえがいわんぎょぎょうきょうどうくみあいきしゅうみなみししょすがりしゅっちょうじょ)は三重県尾鷲市須賀利町にある漁業協同組合の出張所。かつては須賀利漁業協同組合(すがりぎょぎょうきょうどうくみあい)という独立した漁協であった。2007年度の組合員数は194人[12]で須賀利町民の約56[注 1]が加盟している。

諸統計(2007年現在)[12]
  • 組合員数:194人(正組合員93人、准組合員101人)
  • 保有漁船:105隻(総トン数160.15t)
  • 所在地:519-3421 尾鷲市須賀利町285番地4

主な漁獲魚種[編集]

元須賀利と大池[編集]

現在の須賀利集落の東、直線距離にすれば約1キロ、日和山の向こうに「元須賀利」と呼ばれている土地がある。現在、山越えの道は荒れている。船だと須賀利から尾南曽鼻(岬)を回って15分ほどのところ。江戸初期にはまだ人々が住まっていたらしい。現在地には「社護(しゃご)神社」と呼ばれる小さな祠が残るばかり。ここにはきれいな海水を利用して、昭和48年から58年まで10年間、三重県水産試験場の魚類種苗生産施設があったが、それも今は無い。元須賀利には大池と小池の2つの海跡湖がある。湖畔には初夏にハマナツメの群落が花をつける。トンボ、蝶など昆虫が飛び交う楽園でもある。その大池は、今 不気味な緑色を呈している。近年、カワウ(鵜)の大群に占拠されてしまったためだ。元須賀利の前の海(佐之浦)で江戸時代に、マグロ2万尾の大漁があったことを思い出す人もいなくなりつつある。

小・中学校の学区[編集]

公立中学校に通学する場合、須賀利町全域が紀北町立矢口小学校、紀北町立潮南中学校の学区となる[18]

かつては尾鷲市立須賀利小学校(2001年休校[19])、同須賀利中学校(1997年休校[19])が町内にあった[注 2]

小中学校教育[編集]

明治8年9月23日、村有建築物の仮校舎にて須賀利小学校は創設された。当時の児童数は不明だが、昭和34年度には、215名の児童数を数えた。しかし、地域の主産業の漁業の不振による過疎化が急速に進み、平成12年度には全校児童数3名にまで減少し、平成8年度末に休校となった須賀利中学校に続いて、平成12年度末ついに休校にいたった。その間125年の長きに渡り、2199名の須賀利っ子を世に送り出してきた。須賀利小学校の教育を一言で語るなら、正に海の町の学校らしく、漁業を中心とした地域の文化と伝統に密着した教育であったといえよう。昭和57年に県道が開通するまでは「陸の孤島」と呼ばれるほど交通の便が悪く、赴任する教師は教員住宅に寝泊まりし、賄いさんの作ってくれる食事で生活していたが、このような状況下で、教師と地域の人たちが深く付き合い、学校教育と地域の結びつきを強めたのである。海の町の学校ならではの「海老網漁体験」「養殖見学」「定置網見学」等の活動も多く、保護者・地域の学校に対する協力は絶大なものがあった。

また、昭和46年からは、「波瀬小学校(飯南郡飯高町、現在の松阪市飯高町)との交歓学習会」が始まり、当時の波瀬小の森本校長と須賀利小の森本教頭が兄弟であったことから始まったこの交歓学習会は、その後、夏には須賀利小で、冬には波瀬小で、須賀利が休校する平成12年度まで30年間 計51回も行われた。遠く離れた海の子どもと山の子どもの交流は、保護者・地域も巻き込んでの大イベントだった。須賀利小では海の体験を、波瀬小では山の体験をしたが、同時にそれぞれの町の産業についての発表会をしたり、百人一首大会やスポーツ大会、磯遊びや雪合戦に興じるなどたくさんの思い出を残した。子どもばかりでなく保護者も大いに関わったため、その後も進行を深めて家族で付き合う家庭もできるなど、両校にとって忘れることのできない交歓学習会であった。

また、昭和38年度には文部省指定へき地教育研究大会を、昭和62年度には三重県複式教育担当者研修会を、平成3年度には三重県へき地複式教育担当者研修会を開催し、学校と地域が一体となった須賀利小学校の実践を発表するなど、へき地複式教育の発展にも大きく寄与しました。

食文化[編集]

須賀利町では、尾鷲市本体とは異なった食文化を有する[20]郷土料理として、江戸時代からの伝統がある、「黒おにぎり」がある[21]。黒おにぎりは黒砂糖を使ったおにぎりであり、ほんのりとした甘味がある[21][22]。共同作業の際に食べられた[20]。須賀利町では、黒おにぎり以外でも甘めの味付けが主流である[22]

須賀利町の登場する作品[編集]

伝統行事[編集]

石経[編集]

正月15日に普済寺の住職と漁業組合役員によって行われる魚類と遭難者供養の行事である。般若心経266文字の1字づつを書いた石を、住職がお経を唱えながら船で海岸の磯を回って一つ一つ投げ入れていく。最後に集落近くの「ジング(神宮)さん」のある岩礁の幣を立て替えて行事は終わる。

えびす祭りと三番叟[編集]

2月10日のえびす神社祭礼には、「三番叟」が舞われながらダンジリが狭い路地を練る。漁村・須賀利浦を挙げての盛大な祭りであった。この日ばかりは遠く漁にでていた漁船や外で働く人々も里がえりして祭りに加わった。しかし、残念ながら、えびす祭りの三番叟は、舞う小学生がいなくなった理由で平成8年をもって止んだ。えびす祭りの経緯について、地元の記録には次のように記されている。「昔は旧六月十一日、高宮神社の例祭日には神楽を舞い囃したて、最大の賑わいであったが、沿岸漁業から鰹漁に移って、七月は鰹漁の最盛期でもあり、若者たちも留守がちとなっていつの間にか蛭子(えびす)神社大祭をもって皆が「祭り」と称するようになった。(「須賀利の歴史」上野佐太郎著)

須賀利の鰹漁は大正10(1921年)にはじまったと記されているから、それまで水産加工・商人だけが祀っていた蛭子神社のささやかな祭りが、以降、鰹漁の降盛によって氏神様の高宮神社祭礼と合体して、盛大になったのであろう。そして、昭和40年には漁業協同組合の総会で、祭り日が新暦2月10日に決定し、ますます盛大になったという。漁村である須賀利の祭りが、漁の盛衰に左右されることが、この一件からも判る。

「当日の練(ね)りは18才組の男子が樽練りをし、18才から24才組の女子が道中踊りをやる。25才男子は練りが暴れるので、練り止めと称して監督の役に当たり、26才は各組の先頭にたって、囃しのレコードや電蓄のリヤカーをひき進行係の役を務める。27才組は最後のダンジリ(段後)進行係の役をなす。もちろん当日は総休みで町を挙げての大賑わいであるから、ダンジリの網には青年団以外の壮年も、網にあやかり縁起を祝う習わしである。」と昭和42年当時の様子を先の記録は伝えている。

えびす祭りの衣装[編集]

三番叟とは猿楽・狂言・能楽では著名な祝儀舞踏であり、その発生時期は平安時代末とも言われている。この目出度い三番叟は須賀利のみならず他の地域にも伝わり、広まっていった。三番叟の舞は三味線、笛、太鼓等の囃子に合わせて舞うものであり、はじめの演目は長老の舞で、長老が生命の長久と天下泰平、五穀豊穣、大漁祈願の祈祷の翁舞(「揉之段(モミノダン)」を舞う、ついで鈴を持つことによって翁は神に変身し神舞(「鈴ノ段」)を舞う。この三番叟の装束は能楽で定められたもので三番叟用の衣装として昔から決まっているが、現在の須賀利のものは、歌舞伎役者の衣装を模して舞いやすいように改良したものである。

須賀利では旧暦6月11日の高宮神社の例祭日に「神楽」が舞われ、賑やかであった。しかし、この時期は漁期の関係で町衆が留守がちになったため、大正14年頃から蛭子神社の祭りに統合され、昭和40年頃からは新暦の2月10日に催されるようになり、盛大な賑わし物となった。三番叟は明治34、35年頃神楽に代わって行われるようになった。蛭子神社本殿の前に作られた舞台上には洗米、魚、御神酒、鈴を備えた神座の前に2人の少女、2人の少年等による箱持ち、三番叟、神子が登場するが、三番叟は最後に演じられた。この三番叟は須賀利では少子化で演者がなく中断しているのは残念なことである。

高宮神社祭例[編集]

氏神様の高宮神社祭例は7月11日。須賀利区長や区の役員、漁業組合長などが参集して式典が行われる。

交通[編集]

公共の交通機関コミュニティバスだけであり、鉄道や航路は通じていない。最寄り駅は紀勢本線相賀駅である。

2012年10月1日より、巡航船廃止に伴い尾鷲市ふれあいバス須賀利線(14人乗り)が須賀利地区 - 島勝間で1日5往復運行されている[4]。島勝から三重交通の島勝線に接続し、尾鷲市街や紀北町相賀方面へ行くことができる[4]。尾鷲市街までのバス料金は950円[4]。1便当たりの利用客は1人強しかなく、尾鷲市政に負担を強いている[4]。日曜運休(三重交通島勝線は日曜も運行)。

林道が半島を回るように繋がっており、距離は長くなるがそちらから矢口方面へ出ることもできる。

集落の上部から山を越えていく寺倉峠は現在集落の人間が使うことはほぼないが、観光客の散策道として利用されることがある。巡航船以前は寺倉峠を越えて下ったところに海山への渡し船があった。

主な道路
  • 三重県道202号須賀利港相賀停車場線(須賀利道路)

須賀利巡航船[編集]

須賀利巡航船(すがりじゅんこうせん)は尾鷲港と須賀利港を結ぶ航路及びその運営会社有限会社)の名称。1日4便、尾鷲港と須賀利港を25分、500円で結ぶ航路を運航していた[4]2012年(平成24年)9月末をもって廃止された[25]

紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産に登録されたことを受け、旅行会社等に対して、「海の熊野古道」として売り込み[26]、団体利用に対しては運休日の運航にも対応するとしていた[27][28]。巡航船の廃止により、観光客の姿がほとんど見られなくなったという[4]

巡航船の沿革[編集]

1915年(大正4年)、個人経営の定期船として運航を開始[5]。その後、1995年(平成7年)からは尾鷲市と須賀利町の共同出資による第三セクター方式になった。1998年(平成10年)度には年間17,208人の利用があったが、2006年(平成18年)には5,947人にまで減少し、経営が苦しくなっていた。巡航船しか公共交通を持たない須賀利町では児童生徒通学高齢者の通院・買い物などにはなくてはならない存在であり、2007年(平成19年)10月からは日曜日を運休して赤字を減らす取り組みを続けながら存続していた[27]

以前より住民からバスへの転換要望が出されており、2012年(平成24年)1月に行われた住民投票で巡航船の廃止とコミュニティバスへの転換が決定し、9月29日をもって廃止された[4]

最末期まで巡航船に使用されていた「すがり丸」は、1992年(平成4年)に現在の紀北町で製造されたものであるが、2013年(平成25年)1月の競売で紀北町の業者の所有となり、さらに同者が静岡県の業者に転売した[25]

旧須賀利巡航船有限会社[編集]

  • 事業所
    • 本社 - 尾鷲市須賀利町
    • 尾鷲取扱店 - 尾鷲市林町[29]
  • 資本金:300万円[27]
  • 所有船舶:45人乗り1隻[27]
  • 出資者:尾鷲市(3分の2)、須賀利町(3分の1)…赤字補填には三重県も出資していた[27]

施設[編集]

  • 尾鷲市須賀利出張所
  • 須賀利公民館
  • 須賀利簡易郵便局

史跡[編集]

出身著名人[編集]

岡本祐幸 - 物理学者名古屋大学大学院理学研究科教授)。

芝田吉之丞とマグロ漁[編集]

須賀利浦は田んぼや畑に利用することのできる土地が少なく、そのため漁業が主な産業であり、漁の出来不出来は、浦の経済に大きく影響した。江戸時代も後半となった1760年頃から、須賀利浦では何年も不漁が続き、多くの人が生活に困っていた。そのようななかで、浦の有力者出会った芝田吉之丞(〜1861年)は私財を投じ、改良に改良を重ねて新たなマグロ漁(立切編)を開発する。この吉之丞の活躍により、須賀利浦のマグロ漁獲量は飛躍的に増加することとなる。文政12年(1829)には約5000本、天保11年(1840)春には約3000本、天保13年(1841)春にも約18000本の大漁があったとの記録が残っている。現在でも普済寺の庭には、天保13年当時に建てられたマグロの供養塔(刻字 前面「法華塔」、背面「天保十二丑孟春鮪魚得漁事泰謹大乗妙典一部書写造立宝塔伸供養也 十世代 庄屋吉之丞 肝煎孫次郎」)があり、須賀利の港と漁の安全を見守っている。

須賀利浦の遠洋漁業[編集]

近代における造船技術の進歩と、新たな動力の開発により、須賀利浦漁業の活動海域も沿岸から遠洋へと広がりを見せてゆく。明治44年には芝田浦助氏・山下清助氏が電気着火式石油発動機を造り、沖合にて鰹漁を営んだ。その後も大正10年頃に世古宗太郎氏の大盛丸が三陸沖での鰹漁に出漁したのをはじめ、昭和初期にかけて、西は紀州沖から土佐・鹿児島沖、沖縄、台湾周辺、東は伊豆沖から三陸沖へと漁域を拡大していった。またそれとともに船の大型化も進み、昭和初期には約150トン綱船の高宮丸が造成されたほか、何隻もの30~100トン級の遠洋漁船が、当時日本中の沖を駆け回っていた。第二次世界大戦中には大盛丸が徴用されたほか、漁業への統制や食料・資材の不足により大きな打撃を受けたものの、戦後になると、須賀利の船はイタリアや南アフリカ沖まで鮪や鰹を求めて出漁していった。 しかし養殖業の盛行や原油価格の高騰、人手不足等から解散する船が次第に増え、昭和63年の勇喜丸を最後に、須賀利沖の遠洋漁業船は姿を消している。

脚注[編集]

脚注
  1. ^ 2007年度の組合員数[12]を須賀利町の2007年の人口[12]で除して算出した。
  2. ^ あくまでも「休校」扱いなので尾鷲市立小学校及び中学校設置条例(昭和39年6月22日条例第21号、最終改正:平成18年6月26日条例第30号)上は廃校になっていない。しかし、尾鷲市の公式文書に「元須賀利小学校」と「廃校」と明記しているものがあり、事実上廃校である[3]
出典
  1. ^ 尾鷲市役所市長公室秘書広報係"[1]"平成30年11月2日作成(2018年11月5日閲覧。)
  2. ^ 尾鷲市役所市長公室秘書広報係"平成25年12月分住民基本台帳人口"平成25年12月2日作成(2013年12月16日閲覧。)
  3. ^ a b c d e f 尾鷲市役所"7-12 須賀利地域"<ウェブ魚拓>(2013年4月29日閲覧。)
  4. ^ a b c d e f g h 宮崎正嗣「バス転換 変わる生活圏 尾鷲の須賀利巡航船 廃止半年 高齢者 不便↗ 行政 負担↗」2013年4月29日付中日新聞朝刊、三重版12ページ
  5. ^ a b 石原義剛(2008)"日本の小さな漁村<須賀利>最後の巡航船はいつ"月刊『漁業と漁協』平成20年6月号.(2010年12月27日閲覧。)
  6. ^ 三重県尾鷲市役所 編 1971, p. 88.
  7. ^ a b 三重県尾鷲市役所 編 1971, p. 95.
  8. ^ 三重県歴史教育者協議会 編(2006):302ページ
  9. ^ a b c d e f 角川日本地名大辞典24三重県』616ページ
  10. ^ 『大差出帳(尾鷲組大庄屋文書)』:『三重県の地名』925ページより
  11. ^ 昭和55年度国勢調査:『角川日本地名大辞典24三重』1189ページより
  12. ^ a b c d e "尾鷲の漁業 平成19年度版"
  13. ^ 尾鷲市役所市長公室秘書広報係"平成25年4月分住民基本台帳人口"<ウェブ魚拓>平成25年4月1日作成(2013年4月29日閲覧。)
  14. ^ a b c 三重県農水商工部水産基盤室"三重県農水商工部水産基盤室/須賀利漁港"(2010年12月27日閲覧。)
  15. ^ 三重県漁業協同組合連合会"漁協の紹介"養殖情報ネットワークみえ.(2010年12月27日閲覧。)
  16. ^ 三重県漁業協同組合連合会(2003)"三重漁連ニュース 2003年4月~6月"(2010年12月27日閲覧。)
  17. ^ 志摩の国漁協和具青壮年部"和具漁協青壮年部ホームページ"(2010年12月27日閲覧。)
  18. ^ 尾鷲市教育委員会"就学等に関する規則"昭和59年11月8日教育委員会規則第6号.改正:平成21年10月23日教委規則第5号(2010年12月27日確認。)
  19. ^ a b 岡本祐幸"須賀利"(2010年12月27日閲覧。)
  20. ^ a b 三重県農林水産部農業基盤整備課農地・水保全グループ"すがりのおんばんの会"(2012年6月16日閲覧。)
  21. ^ a b NHK津放送局"オータマのぶらり旅|尾鷲市|ふるさとにQ みえの29市町アーカイブス"(2012年6月16日閲覧。)
  22. ^ a b 三重テレビ放送"ええじゃないか。平成弥次さん取材旅"(2012年6月16日閲覧。)
  23. ^ 47News"メンバー-尾鷲市須賀利町"(2012年6月16日閲覧。)
  24. ^ 東紀州観光まちづくり公社観光振興室東紀州プレス&フィルムコミッション担当"「千年の愉楽」映画ロケ決定! 〜尾鷲市須賀利〜 - 東紀州観光まちづくり公社"2011年10月14日(2012年6月16日閲覧。)
  25. ^ a b 宮崎正嗣「波の詩 すがり丸」2013年4月6日付中日新聞朝刊、三重総合23ページ
  26. ^ 東紀州観光まちづくり公社 東紀州百景 » 『風待湊』須賀利に巡航船で出かけませんか?【2009年7月22日閲覧】
  27. ^ a b c d e 読売新聞社"(三重)「須賀利巡航船」存続の危機"YOMIURI ONLINE.(2009年7月22日閲覧。)[リンク切れ]
  28. ^ 「須賀利巡航船」時刻表
  29. ^ 須賀利巡航船有限会社尾鷲取扱店 e-shop地域情報

参考文献[編集]

  • 『三重県の地名』(日本歴史地名大系第二四巻、平凡社、1983年5月20日)
  • 『尾鷲市史 下巻』 三重県尾鷲市役所 編、三重県尾鷲市役所、1971年5月3日、874頁。
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、『角川日本地名大辞典24三重県』(角川書店、昭和58年6月8日発行)
  • 三重県歴史教育者協議会 編『三重の戦争遺跡 増補改訂版』つむぎ出版、2006年8月15日、314p. ISBN 4-87668-151-1
  • 三重県農水商工部水産基盤室/須賀利漁港

外部リンク[編集]