加藤雪腸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

加藤 雪腸(かとう せっちょう、1875年(明治8年)1月2日 - 1932年(昭和7年)11月24日)は、静岡県出身の日本俳人。別号に清白之舎、千里坊など。本名は孫平。

経歴[編集]

1875年(明治8年)静岡県榛原郡川崎町(現在の牧之原市)に生まれる。静岡師範学校(現在の静岡大学)在学中に俳句を始め、正岡子規に入門。高浜虚子河東碧梧桐とともに、早くから子規門となった若手俳人として注目される。また静岡師範学校の仲間を中心に俳誌『芙蓉』を主宰、同誌を発行する「芙蓉会」は松島十湖、藤田紫亭、渥美渓月、久保田九品太らが集い、静岡における日本派の拠点となった。

静岡師範卒業後、教員となった後も俳句を続けたが、子規亡き後は次第に自由律俳句に傾倒。荻原井泉水の『層雲』や中塚一碧楼の『海紅』に投句を続ける中、自身の俳誌『曠野』を創刊。「自由俳句」を標榜して、井泉水や一碧楼の自由律俳句とも違う、独自の句作を目指した。1932年(昭和7年)、交通事故に遭い57歳で急逝。

句集[編集]

  • 『加藤雪腸遺稿 自由俳句管見』(1944年)
  • 『三絃琴 加藤雪腸遺稿 作品集』(1981年)

参考文献[編集]

  • 加藤万古刀編『三絃琴 加藤雪腸遺稿 作品集』(1981年・加藤万古刀)
  • 上田都史編『自由律俳句文学史』(1975年・永田書房)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]