佐々木善右衛門
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佐々木 善右衛門(ささき ぜんうえもん[1]/ ぜんえもん[2]、1852年(嘉永5年1月[1][3]) - 1917年(大正6年)8月16日[1])は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。幼名は猪太郎[4]。
経歴
[編集]出雲国能義郡荒島村(現島根県安来市)に生まれる[5]。生家は代々商業を営んだ[4]。和漢学を修めた[1]。1881年(明治14年)島根県会議員に当選し、ついで常置委員となり、副議長を兼任した[4]。1884年(明治17年)任期満了ののち、再度県会議員に再選される[4]。ほか、地方衛生会委員を務めた[1]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では島根県第2区から出馬し当選[1]。つづく第2回総選挙でも当選した[1]。
1890年、松江日報社の設立に参画し総代となる[2]。山陰製糸、松江銀行、松江電灯の設立にも参画し、山陰生命保険社長、来待石製品合資会社社長、松江汽船社長を務めた[2]。この間、山陰線の敷設、松江連隊(歩兵第63連隊)の誘致に尽力した[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 木戸照陽 編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。