丸一仙翁社中
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丸一仙翁社中(まるいちせんおうしゃちゅう)は、太神楽曲芸の一派(一門)、団体の名。
歴史・概要
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代々家元
[編集]- 初代 - 三田寺町仙翁寺にある墓石によると初代は俗称を近太夫と言って1597年(慶長2年)7月11日に没したという。戒名は鏡月院貞理社士。
- 2代目
- 3代目
- 4代目
- 5代目
- 6代目
- 7代目
- 8代目
- 9代目 - 鏡味権之進
- 10代目 - 鏡味仙太郎(1859年(安政6年)5月[注 1] - 1929年(昭和4年)10月3日)九代目丸一太神楽家元鏡味権之進の実子で明治20年代頃から十代目家元となる。柳派の寄席に進出。明治期に三度洋行をする。太神楽の芸がヨーロッパでも充分通用することに自信を深め、火炎撥など数種の芸を考案して帰国し、太神楽の近代化に大きな役割を果たした。実子が十一代目家元。本名同じ。
- 11代目 - 初代鏡味小仙(1896年(明治29年)5月20日 - 1947年(昭和22年)5月14日)十代目家元の実子。1907年に十代目に弟子入りし初代小仙を名乗る。祝い唄のSPレコードが多く残っている。本名は鏡味六三。
- 12代目 - 二代目鏡味小仙
- 13代目 - 三代目鏡味小仙(現在の丸一仙翁、1940年(昭和15年)10月25日 - )1948年に十二代目家元の芸養子として二代目仙壽郎を名乗る。1993年に三代目小仙を襲名し十三代目家元になる。2005年6月に丸一仙翁を襲名。かつては落語協会に所属していた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 江戸太神楽の歴史[リンク切れ]
- 倉田喜弘編 『幕末明治見世物事典』 2012年 吉川弘文館 ISBN 978-4-642-08074-3