串木野空襲
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串木野空襲 | |
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戦争:第二次世界大戦(太平洋戦争、日本本土空襲) | |
年月日:1945年(昭和20年)7月30日、8月9日、8月12日 | |
場所:鹿児島県日置郡串木野町(現:いちき串木野市) | |
結果:アメリカ軍の目標達成。串木野市街地が壊滅 | |
交戦勢力 | |
大日本帝国 | アメリカ合衆国 |
損害 | |
被災家屋 2,520戸[1] 死傷者 155名以上[1] |
死者 1名以上[2]。 |
串木野空襲(くしきのくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍によって行われた鹿児島県日置郡串木野町(現:いちき串木野市)への都市無差別爆撃である。
概要
[編集]串木野に対する空襲は1945年(昭和20年)の7月から8月にかけて3回以上行われており、合計で死傷者115人、住居2,520戸の被害を出した[1]。
なお、8月9日は長崎原爆投下の約1時間前に空襲が行われており、長崎原爆のきのこ雲写真の一部に串木野空襲の煙が写りこんでいる[3]。
公式記録には残っていないが、8月13日に爆弾が投下された当時の住民による証言がある[4]。
戦後、戦災復興都市計画の対象都市になり、復興事業が行われた[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c “広報いちき串木野 Vol.119”. いちき串木野市 (2015年9月24日). 2021年9月30日閲覧。
- ^ “研究報告 本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士 西部軍管区”. POW研究会 POW Research Network Japan. 2021年9月30日閲覧。
- ^ “「きのこ雲」後方 串木野空襲の煙 長総大・大矢名誉教授ら特定 「終戦直前まで全土に空襲」”. 長崎新聞 (2019年9月9日). 2021年9月30日閲覧。
- ^ “「ここに9発落ちた」不発弾、住宅街に眠る? 証言のみ、自治体は対応に及び腰”. 西日本新聞me (2018年4月4日). 2021年9月30日閲覧。
- ^ 官報 第5922号(昭和21年10月9日)