ローハンの王たち

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ローハンの王たち(ローハンの王たち)では、J・R・R・トールキンの小説『指輪物語』および『シルマリルの物語』の舞台となる中つ国に登場する、架空の国の王族について述べる。

概要[編集]

騎士の国ローハンの王族は、一族がまだ北方のエオセオド国に暮らしていたころから指導者を務めてきた。さらにさかのぼると、闇の森の南にあったロヴァニオン王国の王家に行き着くという。そのためかれらは、ゴンドールの王たちとはエルダカールの母方を通じて血がつながっていると考えていた。エアルヌアを最後にゴンドールの王家は断絶したが、その後もずっと両国は友好関係を保ち続けた。

ローハンでは王の直系が絶えて縁者が継承するたびに家系を新規にしており、エオルからヘルムまでが第一家系、フレアラフからセオデンまでが第二家系とされる。セオデンの後継は甥のエオメルであったため、かれから第三家系が始まった。

王たちは死後、王宮メドゥセルドの建つ丘に続く道の両脇に並ぶ塚山に葬られる。塚は四季を通じて咲く「忘れじ草」シンベルミネの白い花によって飾られた。西の九つの塚には第一家系の、東の七つの塚には第二家系の王が眠っており、最後にセオデン王がそこに加わった。

第一家系[編集]

※ 以下、代・名・生没年の順に王について記載する。

青年王エオル[編集]

1. 青年王エオル(Eorl the Young) 2485 - 2545年

父レオドの死に伴い16歳でエオセオドの族長の地位を継いだことと、生涯黄色の髪を保っていたところから青年王エオル(若きエオル)と呼ばれた。かれは父の死因となった白馬を探し出すとフェラローフと名づけ、馬具も用いずに乗りこなした。フェラローフは人語を解し、また人間並みに長命だった。

2510年、バルホスの脅威にさらされたゴンドールの執政キリオンからの使者がエオセオドの土地にたどり着き、助けを求めた。エオルはほぼ全軍を挙げて出撃することに決め、アンドゥインに沿って南下した。ゴンドール軍はバルホスとオークの群れによって、銀筋川白光川の間のケレブラントの野に追い詰められていたが、そこへ駆けつけたエオセオドの騎士たちによって危ういところを救われた。

3か月後、キリオンはエオルを聖地アモン・アンワルに招くと、カレナルゾン地方を領土として割譲する宣言をした。エオルはそれに応えて、ゴンドールの危機には必ず馳せ参じる誓いを立てた。このエオルの誓いは両国ともに決して破らず、子々孫々にいたるまで尊重された。

当時エオセオドの土地は人口増加のため手狭になっていたので、エオルは喜んで北方から残る一族を呼び寄せ、カレナルゾンの地に騎士の国ローハンを築いた。

エオルは高地(ウォルド)の合戦で東夷に討たれ、愛馬フェラローフとともに最初の塚山に葬られた。

ローハンの隆盛[編集]

2. ブレゴ(Brego) 2512 - 2570年
3. 長命王アルドール(Aldor the Old) 2544 - 2645年
4. フレア(Fréa) 2570 - 2659年
5. フレアヴィネ(Fréawine) 2594 - 2680年
6. ゴールドヴィネ(Goldwine) 2619 - 2699年

ブレゴによって高地から敵が駆逐され、ローハンは長い平和を謳歌することになった。

2659年、メドゥセルドの王宮が完成したが、その祝いの席でブレゴの長子バルドールが死者の道に挑むことを宣言し、そのまま帰らなかった(後年、アラゴルン一行によって亡骸が発見されるまで、かれのたどった顛末は誰にも知られなかった)。

子を喪った心痛で翌年ブレゴは世を去り、バルドールの弟アルドールが後を継いだ。かれの治世にローハンの人口は増加し、アイゼン川東の褐色人の残党を完全に一掃した。アルドールは75年もの間王位にあったため「長命王」と呼ばれ、息子のフレアは老齢になってようやく王位を継いだ。

アイゼンガルド占拠[編集]

7. デオル(Déor) 2644 - 2718年
8. グラム(Gram) 2668 - 2741年

デオルの時代、褐色人は再びアイゼン川を越えて攻めてくるようになった。2710年、守るものの無いアイゼンガルドが褐色人に占拠されたが、ローハンにはかれらを追い出すことができなかった。

槌手王ヘルム[編集]

9. 槌手王ついしゅおうヘルム(Helm Hammerhand) 2691 - 2759年

ヘルム王の時代、アドーン川両岸を支配していたのはフレカという男だった。かれはフレアヴィネ王の末裔を自称していたが、実際には褐色人の血が濃いらしく、髪も黒かった。ヘルムはフレカを信用していなかったが、会議には一応招いていた。

2754年の会議の席上で、フレカは息子ウルフの嫁に王の娘をよこすように求めた。ヘルムがそれを断ると、フレカは王を罵倒した。会議の終了後、ヘルムはフレカを王宮から連れ出して素手で打ち殺し、かれの一族を王の敵と公言して追い払った。

2758年、ゴンドールが3つの大艦隊を相手に防衛戦を繰り広げているころ、同盟者のローハンもまた東方から襲撃を受けた。これを好機と見たウルフが褐色人を率いて西から攻め込み、そこへ敵艦隊がアイゼン川とレフヌイ川の河口から上陸してきて、同盟が分断されたロヒアリムは白の山脈に押し込まれた。ヘルム王の息子ハレスはメドゥセルド王宮を最期まで守ろうとしたがついに討たれ、ウルフは王を自称した。

さらに5か月に及ぶ長い冬がローハンを見舞い、スースブルグと背後の谷(後の角笛城とヘルム峡谷)に避難していたロヒアリムは厳しい寒さと飢えにさいなまれた。自暴自棄になったハレスの弟ハマは無謀な出陣を行って雪中に行方不明となった。

2人の息子を喪ったヘルムは猛々しさを増し、白装束に身を固めると角笛を吹き鳴らして単身で城を出て、素手で多くの敵を仕留めてまわった。「武器を帯びていないヘルムは武器では倒せない」「飢えれば人間でも喰う」などのうわさが流れ、褐色人はかれの角笛の音を聞くだけで恐怖のあまり逃げ出すようになった。ある朝、一人出撃したヘルム王が立ったまま死んでいるのが発見されたが、その後もヘルム峡谷には時おり角笛がこだまし、かれの幽霊がローハンの敵を殺すのだという。

2759年、ようやく冬が終わるとヘルムの甥フレアラフが馬鍬砦より出陣し、少数の手勢による奇襲で僭王ウルフを討ち取った。雪解けの洪水でエント川一帯は沼沢地と化し、東方からの侵略者は撤退した。そしてゴンドールの執政ベレンの息子ベレゴンドの同盟軍が東西両方から駆けつけ、アイゼンガルドも含めたローハン領から褐色人を撃退した。

第二家系[編集]

サルマン来訪[編集]

10. ヒルデの息子フレアラフ(Fréaláf Hildeson) 2726 – 2798年

フレアラフの戴冠式にサルマンが贈り物を持って現れ、ロヒアリムからの信を得た。すでにベレンからオルサンクの塔の鍵を受け取っていたサルマンは、そのままアイゼンガルドに居を定めた。後年によこしまな野心を抱くかれも、この時点では西の要所を押さえてくれるローハンの味方だった。

オーク襲来[編集]

11. ブリッタ(Brytta) 2752 - 2842年
12. ワルダ(Walda) 2780 - 2851年
13. フォルカ(Folca) 2804 - 2864年

ブリッタは困窮する誰にでも助けの手を差し伸べたため人気が高く、「愛されしもの」レオファ(Léofa)の異名で知られた。この時代に北でドワーフとオークの戦争があり、ロヒアリムは白の山脈まで流れてきたオークと戦った。

ワルダが治世9年目に馬鍬砦から馬に乗って山道に差し掛かったところ、一掃されたと思われていたオークの罠にかかり、従者もろとも殺されてしまった。

狩猟者フォルカは「ローハンに1人でもオークが残る限り、野の獣は追わない」と誓いを立て、徹底的にオークを狩り立てた。オークの殲滅が完了すると、フォルカはフィリエンの森に猪狩りにおもむいたが、そのとき猪の牙につけられた傷がもとで死亡した。

復興[編集]

14. フォルクヴィネ(Folcwine) 2830 - 2903年

フォルクヴィネの治世にようやくローハンの国力が回復し、いまだ褐色人の占領下にあった西の国境付近を奪還した。

2885年、ゴンドールがハラドリムの襲撃にさらされたことを知ると、フォルクヴィネはこれまで受けてきた援助への恩返しとして軍を派遣した。王自らの出陣はかなわなかったので、フォルクレドファストレドの双子の王子(2858年生)が兵を率い、兄弟ともにイシリエンの合戦で討ち死にした。両王子はポロス川そばの塚山ハウド・イン・グワァヌアに葬られ、執政トゥーリン2世からは多量の金が贈られた。

ゴンドール帰り[編集]

15. フェンゲル(Fengel) 2870 - 2953年
16. センゲル(Thengel) 2905 - 2980年

フェンゲルは貪欲だったので、配下にも子供たちにも嫌われていた。

かれの息子センゲルは成人するとゴンドールに移り住み、執政トゥアゴンに仕えた。長く独身だったが、2943年に17歳年下のロッサルナッハのモルウェンと結婚。娘2人と息子セオデンを得た。

父王フェンゲルが死ぬとセンゲルはいやいやながら帰国した。王宮でゴンドールの言葉を使用するやり方には反発もあったが、王としては善良で賢明だった。ロヒアリムから「刃の光沢」と称された王妃モルウェンはこの地でさらに2人の娘をもうけ、なかでも2963年に生まれた末の娘セオドウィンは最も美しかった。

だがこのころアイゼンガルドのサルマンが変節し、表立ってローハンへの敵対行動を取るようになってきた。

指輪戦争[編集]

17. セオデン・エドニュー(Théoden Ednew) 2948 - 3019年

セオデンはサルマンの姦計により心身ともに衰え、息子セオドレドも喪ってしまったが、ガンダルフによって癒され、ローハンから外敵を排除した。そのままゴンドールを救いに出陣し、ペレンノール野の合戦にて死亡。

第三家系[編集]

18. エオメル・エアディグ(Éomer Éadig) 2991 – 第四紀63年
19. エルフヴィネ(Elfwine)

指輪戦争終結後、王位はセオデンの甥エオメルが継いだ。かれの息子エルフヴィネは「金髪王」(the Fair)と呼ばれている。

系譜[編集]

※ かっこ付きの数字は、何代目の王かを示している。

 
 
 
レオド
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
青年王
エオル
(1)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ブレゴ(2)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
バルドール
 
長命王
アルドール(3)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フレア(4)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フレアヴィネ(5)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ゴールドヴィネ(6)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
デオル(7)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
グラム(8)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
槌手王
ヘルム
(9)
 
 
 
ヒルデ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハレス
 
ハマ
 
フレアラフ(10)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ブリッタ(11)
(レオファ)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ワルダ(12)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フォルカ(13)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フォルクヴィネ(14)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フォルクレド
 
ファストレド
 
フェンゲル(15)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロッサルナッハの
モルウェン
 
センゲル(16)
 
 
 
 
 
 
 
ドル・アムロス大公
アドラヒル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エルフヒルド
 
セオデン(17)
 
セオドウィン
 
東谷の
エオムンド
 
イムラヒル
 
フィンドゥイラス
 
デネソール
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
セオドレド
 
 
エオメル(18)
 
 
 
 
 
 
 
ロシーリエル
 
ボロミア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エオウィン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ファラミア
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エルフヴィネ(19)
 
 
 
 
 
 
エルボルン
 

脚注[編集]