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ロベール・ド・ブルゴーニュ (1300-1317)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロベール・ド・ブルゴーニュ
Robert de Bourgogne
サン=ドニ大聖堂にあるロベールの墓石

出生 1300年ごろ
死去 1317年9月3/4日
フランス王国パリ、オテル・ダルトア
埋葬 フランス王国パリ、コルドリエ修道院
家名 アンスカリ家
父親 ブルゴーニュ伯オトン4世
母親 アルトワ女伯マオー
宗教 キリスト教カトリック教会
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ロベール・ド・ブルゴーニュ(Robert de Bourgogne, 1300年ごろ - 1317年9月3/4日)は、ブルゴーニュ伯オトン4世とアルトワ女伯マオーの唯一の息子。

生涯

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ロベールは生まれる前に相続から外されていた。すでに1295年3月2日に、父オトン4世は長女ジャンヌフランス王フィリップ4世の次男フィリップと結婚させ、寡婦財産としてジャンヌがブルゴーニュ伯領を受け取ることを提案していたためである[1]

1306年5月8日に、ロベールはイングランド王エドワード1世の末娘エリナーと婚約した。同年10月4日教皇クレメンス5世はロベールとエリナーとの結婚に対する特許状を与えた。しかし、エリナーは1311年に死去し、突然にこの結婚話は消えることとなった[2]

ロベールは1317年の9月3日もしくは4日にパリのオテル・ダルトアにおいて死去し、コルドリエ修道院に埋葬された。ロベールの墓は19世紀にサン=ドニ大聖堂の王室共同墓地に移された[3]

脚注

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  1. ^ Funck-Brentano 1888, p. 16.
  2. ^ Weir 2011, p. 90.
  3. ^ Hellot 1884, p. 30.

参考文献

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  • Funck-Brentano, Frantz. (1888) Philippe le Bel et la noblesse franc-comtoise. Paris: Bibliothèque de l'École des chartes.
  • Hellot, Amédée. (1884) Chronique Parisienne Anonyme de 1316 à 1339. Nogent-le-Rotrou: Daupeley-Gouverneur.
  • Weir, Alison. (2011) Britain's Royal Families : The Complete Genealogy. London: Random House. ISBN 978-1-4464-4911-0.