ロバート・タフト・シニア
ロバート・タフト・シニア(Robert Taft, Sr.、Robert Taft、Robert Taft Iとも、1640年頃 - 1725年2月8日)はタフト家初代。オックスブリッジ伯爵の子孫である[要出典]とアルフォンソ・タフトの伝記の付録に記載されている。
初期の歴史
[編集]イングランドで生まれ、1675年(または1678年)には、マサチューセッツ州ブレインツリーにいたことが知られている。1669年からメンドンにいたとの記述もある。1675-1680年ころまでブレインツリーにおり、サラ・シンプソンと結婚した。[1]その後メンドンに引っ越した。子供は、ロバート・アンド・サラ・トーマス・タフト(メンドンで1671年生)、ロバート・タフト(ブレインツリーで1674年生)、ダニエル・タフト(ブレインツリーで1677年生)、ジョセフ・タフト(メンドンで1680年生、エリザベス・エマーソンと結婚。)、ベンジャミン・タフト(マサチューセッツ州ブリストルで1684年3月31日生)。[1]
家産
[編集]元々の屋敷はメンドンの一部(後のアクスブリッジ)にあった。1679年の土地の証書を買った。前所有者クラウン大佐は、フィリップ王戦争中にこの地を離れ、再びこの地に 戻らなかったという。 1680年にこの地に屋敷を建てた。[2]
仕事
[編集]アルフォンソ・タフトの伝記によると、現在のアクスブリッジのイーストハートフォード通り近くのクラウン大佐の土地に住んでいた。[3]1709年、息子達とブラックストーン川に橋を架けたことでも知られる。元々はブラックストーン川と運河遺産州立公園の有名な石のアーチ橋の近くに架けられた。この道路Middle Post Roadとして知られる。
子孫
[編集]子孫はオハイオ州を中心に全米に広がり、多数の政治家を輩出した。孫ウィリアム・タフトはアメリカ合衆国大統領、曾孫ジョサイア・タフトの妻リディア・タフトはアメリカ初の女性有権者である。
死
[編集]1725年、ウースター郡アクスブリッジ(当時はサフォーク郡)で死亡した。
参考文献
[編集]- ^ a b “Descendants of Robert and Sarah Taft”. Rootsweb. 2007年10月19日閲覧。
- ^ “Early Taft Genealogy”. Access Genealogy. 2007年9月23日閲覧。
- ^ Leonard, Lewis Alexander. "The Life of Alphonso Taft" by Google Books Life of Alphonso Taft. Google Books 2007年11月25日閲覧。