リュシール・グレトリ

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リュシール=アンジェリーク=ドロテー=ルイーズ・グレトリLucile-Angélique-Dorothée-Louise Grétry, 1772年7月15日 - 1790年3月)はフランスの女性作曲家。高名なオペラ作曲家アンドレ・グレトリと、その妻で画家のジャンヌ=マリー・グランドンとの間に産まれた次女である。

略歴[編集]

コメディ・イタリエンヌ劇場のために2つのオペラ・コミックを作曲しており、第1作の《アントニオの結婚(Le mariage d'Antonio)》(1786年)はまだ14歳の時の作品である。父親の最も有名な作品《獅子心王リシャールRichard Coeur-de-lion)》の後日談として作曲され作品であり、管弦楽法は父親に助けてもらっている。上演回数は47回を数えた。1786年に作曲された第2作《トワネットとルイ(Toinette et Louis)》 は失敗作だった。リュシール・グレトリは将来を嘱望されていたのだが、18歳で結核のために夭折した。

参考文献[編集]