リュグダミス朝
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リュグダミス朝 (リュグダミスちょう、英語: Lygdamid dynasty)は、古代アナトリア南西部のカリアを支配した家系。カリアがハカーマニシュ朝のキュロス2世が差し向けた将軍ハルパゴスに征服された後、ハカーマニシュ朝の従属勢力として勃興した[1][2]。王朝の祖リュグダミス(1世)は、カリア人とギリシア人の血を引いていた[3][4][5][6]。
リュグダミス朝は代々僭主として都市国家ハリカルナッソスなどを支配していた。しかし紀元前454年にリュグダミス2世が没すると、ハリカルナッソスはアテナイ主導のデロス同盟へ参加する道を選んだ[2]。実際にこれ以降、ハリカルナッソスの名はアテナイに貢ずる拠出金目録に記載されるようになっている[7]。
紀元前395年にハカーマニシュ朝がカリアを再征服し、以降はヘカトムノス朝がこの地を支配するようになった[8]。
なお、リュグダミスという人名は、もともとは紀元前644年頃にリュディアを攻撃したキンメリア人の王の名「ドゥグダッメ」として現れる。この名を持った人物はハリカルナッソスのリュグダミス1世らのほかにナクソス島などに確認されるものの、カリア語の固有名詞としては説明できないから、キンメリア起源の名と見られる。カリア人がキンメリア起源の名を用いた理由ははっきりとはわからないが、アナトリア半島に侵入したキンメリア人とカリア人とが通婚した結果とは考え得る[9]。
統治者
[編集]脚注
[編集]- ^ Fornara, Charles W.; Badian, E.; Sherk, Robert K. (1983) (英語). Archaic Times to the End of the Peloponnesian War. Cambridge University Press. p. 70. ISBN 9780521299466
- ^ a b Grant, Michael (2004) (英語). Greek and Roman Historians: Information and Misinformation. Routledge. p. 4. ISBN 9781134828210
- ^ Penrose, Walter Duvall (2016) (英語). Postcolonial Amazons: Female Masculinity and Courage in Ancient Greek and Sanskrit Literature. Oxford University Press. p. 163. ISBN 978-0-19-953337-4
- ^ (英語) Egypt and Scythia. Рипол Классик. (1886). p. 5. ISBN 9785874812997
- ^ Hornblower, Simon; Spawforth, Antony; Eidinow, Esther (2012) (英語). The Oxford Classical Dictionary. OUP Oxford. p. 387. ISBN 9780199545568
- ^ Newton, Charles Thomas; Pullan, Richard Popplewell (2011) (英語). A History of Discoveries at Halicarnassus, Cnidus and Branchidae. Cambridge University Press. p. 811. ISBN 9781108027274
- ^ (英語) The Ancient World. Ares Publishers. (1988). p. 5
- ^ Hecatomnid dynasty - Livius
- ^ Tokhtas'ev, Sergei R. (2007). “Der Name des kimmerischen Königs Lygdamis” (ドイツ語). Milesische Forschungen 5: 607-612 .