ヨハン・ゲオルク・フォン・ザクセン (1869-1938)

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ヨハン・ゲオルク・フォン・ザクセン
Johann Georg von Sachsen

称号 ザクセン王子
敬称 殿下
出生 (1869-07-10) 1869年7月10日
ザクセン王国の旗 ザクセン王国ドレスデン
死去 (1938-11-24) 1938年11月24日(69歳没)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国、アルツハウゼン
埋葬 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国ドレスデン、旧カトリック墓地
配偶者 マリア・イザベラ・フォン・ヴュルテンベルク
  マリーア・インマコラータ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
家名 ヴェッティン家アルブレヒト系
父親 ザクセンゲオルク
母親 マリア・アナ・デ・ブラガンサ
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ヨハン・ゲオルク・フォン・ザクセンJohann Georg von Sachsen, 1869年7月10日 - 1938年11月24日)は、ザクセン王国の王族。ザクセン王ゲオルクとその妃でポルトガル女王マリア2世の娘であるマリア・アナの間の第6子、次男。全名はヨハン・ゲオルク・ピウス・カール・レオポルト・マリア・ヤヌアリウス・アナクレトゥス(Johann Georg Pius Karl Leopold Maria Januarius Anacletus von Sachsen)。

生涯[編集]

ヨハン・ゲオルクは厳格なカトリック教育を受け、1881年まで個人教師に学び、その後は軍人になるための教育を受けた。1889年から1890年まで、弟のマクシミリアンとともにフライブルク大学で法学を専攻した。その後ヨハン・ゲオルクはライプツィヒ大学に移り、歴史学や美術史の講義を受けた。1909年には、ライプツィヒ大学から名誉博士号を贈られている。

ヨハン・ゲオルクは1894年4月5日にヴュルテンベルク公フィリップの娘マリア・イザベラと結婚したが、イザベラとは1904年に死別した。その後、1906年10月30日に、両シチリア王家家長のカゼルタ伯アルフォンソの娘マリーア・インマコラータと再婚した。いずれの妻との間にも子供は出来なかったが、ヨハン・ヴィルヘルム(1927-1945)という庶子がいた。

1902年より、ヨハン・ゲオルクはドレスデン郊外約30kmの位置にあるヴェーゼンシュタイン城を住まいとしていたが、1918年にドイツ革命でザクセンの王制が倒れると、城を売り払ってフライブルクに引っ越した。