コンテンツにスキップ

メアリー・スタッフォード (スタッフォード女伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メアリー・スタッフォード
Mary Stafford
スタッフォード女伯
在位 1688年10月5日 - 1693年1月23日

称号 スタッフォード子爵夫人
出生 1620年
死去 1693年1月23日
埋葬 イングランド王国の旗 イングランド王国ウェストミンスター寺院
配偶者 初代スタッフォード子爵ウィリアム・ハワード
子女 ヘンリー
ジョン
フランシス
イザベラ
アナスタシア
家名 スタッフォード家
父親 エドワード・スタッフォード
母親 アン・ウィルフォード
テンプレートを表示

スタッフォード女伯爵メアリー・ハワード英語: Mary Howard, Countess of Stafford、旧姓スタッフォードStafford)、1620年頃 - 1693年1月23日)は、イングランド貴族

生涯

[編集]

エドワード・スタッフォード(Edward Stafford、1601年7月9日洗礼 - 1621年4月6日、第4代スタッフォード男爵エドワード・スタッフォード英語版の息子)とアン・ウィルフォード(Anne Wilford、ジェームズ・ウィルフォードの娘)の娘として[1]、1620年頃に生まれた[2]

1637年10月11日、ウィリアム・ハワード(1614年 - 1680年)と結婚[3]、3男2女をもうけた[2]

1640年9月12日に夫がスタッフォード男爵に叙されると、メアリーも同日にスタッフォード女男爵に叙された[3]。同年11月11日に夫がスタッフォード子爵に叙されると[3]、メアリーはスタッフォード子爵夫人になった。

1678年10月25日に夫が私権剥奪され、1680年12月29日に夫が大逆罪で斬首刑に処された後もスタッフォード子爵夫人の称号が使用されたという[3]。また、夫の財産も没収されたが、1681年11月にチャールズ2世よりメアリーに返還されている[4]

1688年10月5日、長男ヘンリースタッフォード伯爵に叙されると、メアリーも同時に一代貴族であるスタッフォード女伯爵に叙された[3]

1694年1月23日に死去、ウェストミンスター寺院に埋葬された[3]。スタッフォード女伯爵は一代貴族だったため子孫に継承されず、スタッフォード女男爵は夫が私権剥奪された結果、メアリーの死とともに剥奪され、子孫に継承されることはなかった[3]

出典

[編集]
  1. ^ "Stafford, Baron (E, 1563 - 1640)". Cracroft's Peerage (英語). 21 February 2004. 2019年11月2日閲覧
  2. ^ a b "Stafford, Viscount (E, 1640 - 1680)". Cracroft's Peerage (英語). 21 April 2008. 2019年11月3日閲覧
  3. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 214–216.
  4. ^ Paley, Ruth (2016). "STAFFORD-HOWARD (formerly HOWARD), Henry (c. 1648–1719)". In Paley, Ruth (ed.). The House of Lords 1660–1715 (英語). Vol. 4. Cambridge University Press. p. 554. ISBN 9781107175259
イングランドの爵位
爵位創設 スタッフォード女男爵
1640年 – 1694年
剥奪