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ミトロファン・ナディン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミトロファン・アレクサンドロヴィチ・ナディン
Митрофан Александрович Надеин
ミトロファン・ナディン
生誕 (1839-11-20) 1839年11月20日
死没 1908年1月1日(1908-01-01)
所属組織 ロシア帝国の旗 ロシア帝国
軍歴 1856 — ?
最終階級 陸軍中将
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ミトロファン・アレクサンドロヴィチ・ナディンМитрофан Александрович Надеин, Mitrofan Alexandrovich Nadein)は、ロシア帝国陸軍軍人。露土戦争や、日露戦争旅順攻囲戦に参戦した。

経歴

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1856年士官候補生としてポドルスキー歩兵第55連隊に所属、1863年少尉に任官した。連隊所属のまま露土戦争に参戦。シプカ防衛戦に参加して負傷。その武功が認められて少佐に昇格し、聖ゲオルギー勲章と「勇敢」の金剣が与えられた。

1894年大佐1904年少将に昇進。同時に東シベリア狙撃兵第4師団所属の第2旅団長となり、旅順要塞防衛に参加。5月3日から13日の戦闘に加わり、腕を負傷。同年10月から11月からは東部戦線の指揮を執った。その間、10月22日には中将に昇進している。旅順要塞軍降伏後は捕虜として日本へ送還された。

家族は妻と5人の子供がいた。

栄典

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  • 聖アンナ勲章第3等級:1877年
  • 聖ゲオルギー勲章第4等級:1878年2月27日
    • 露土戦争におけるシプカ防衛戦の勇戦による。[1]
  • 「勇敢」の金剣:1901年
  • 聖ヴラディーミル勲章第4等級:1883年
  • 聖スタニスラーフ勲章第2等級:1883年
  • 聖アンナ勲章第2等級:1888年
  • 聖ヴラディーミル勲章第3等級:1889年
  • 聖スタニスラーフ勲章第1等級:1904年10月24日
  • 聖ゲオルギー勲章第3等級:1905年1月27日
    • 旅順攻囲戦における日本軍撃退の軍功による。[2]

参考

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  1. ^ Кавалеры Ордена Святого Георгия 4 класса за боевые отличия”. Георгиевская страница. 11 июля 2008閲覧。
  2. ^ Кавалеры Ордена Святого Георгия 3 класса”. Георгиевская страница. 11 июля 2008閲覧。