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ホレイショ・ネルソン (第3代ネルソン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バニティ・フェア』1881年4月16日号におけるカリカチュアレスリー・ウォード画。

第3代ネルソン伯爵ホレイショ・ネルソン英語: Horatio Nelson, 3rd Earl Nelson、出生名ホレイショ・ボルトンHoratio Bolton)、1823年8月7日1913年2月25日)は、イギリスの貴族、政治家。1835年2月から11月までトラファルガー子爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

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第3代ネルソン伯爵、1875年。

トマス・ボルトン(のちの第2代ネルソン伯爵トマス・ネルソン)と妻フランシス・エリザベス(Frances Elizabeth、旧姓エア(Eyre)、1796年ごろ – 1878年3月28日、ジョン・モーリス・エアの娘)の息子として、1823年8月7日にウィルトシャーホワイトパリッシュ英語版にあるブリックワース・ハウス(Brickworth House)で生まれ、スタンドリンチ・パーク英語版で洗礼を受けた[1]。1835年2月に父がネルソン伯爵位を継承すると、父とともに姓をネルソンに改めた[1]。同年11月1日に父が死去すると、ネルソン伯爵位を継承した[1]。1836年ごろから1840年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1841年3月25日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1844年にM.A.の学位を修得した[2]

1845年に貴族院議員に就任した[1]。議会では保守党に属した[1]

1840年5月20日にロイヤル・ウィルトシャー・ヨーマンリー連隊英語版少尉英語版になり[3]、1847年4月16日に中尉に[4]、1867年5月4日に大尉に昇進した[5]。ウィルトシャーの治安判事を務めたほか[2]、1860年12月21日にウィルトシャー副統監に任命された[6]

1850年10月17日、カンタベリー協会英語版に加入した[7]

1883年時点でウィルトシャーに7,196エーカーの領地を所有しており、領地は年収5,800ポンド相当だった[1]

1913年2月25日にウィルトシャーのトラファルガー・ハウス英語版で死去、三男トマス・ホレイショ英語版が爵位を継承した[1]

家族

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1845年7月28日、メアリー・ジェーン・ダイアナ・エイガー(Mary Jane Diana Agar、1822年5月26日 – 1904年5月8日、第2代ノーマントン伯爵ウェルボア・エリス・エイガー英語版の娘)と結婚[1]、5男4女をもうけた[8]

  • アリス・メアリー・ダイアナ(1846年7月9日[8] – 1919年8月18日[9]
  • コンスタンス・ジェーン(1848年2月16日 – 1922年1月27日) - 1870年4月21日、バートランド・プレイデル=ブーヴェリー閣下(Hon. Bertrand Pleydell-Bouverie、1926年11月7日没)と結婚[10][9]
  • イーディス(1850年1月7日[10] – 1877年8月24日) - 1870年7月5日、チャールズ・クレメント・タッドウェイ(Charles Clement Tudway)と結婚、1女をもうけた[8]
  • メアリー・キャサリン(1852年10月5日 – 1901年11月17日) - 1890年10月21日、リチャード・ショー(Richard Shaw)と結婚[8]
  • ハーバート・ホレイショ(1854年7月19日 – 1905年5月4日) - 1879年8月5日、イライザ・ブランシュ・ダルゲティ(Eliza Blanche Dalgety、1860年8月8日 – 1938年5月24日[11]、フレデリック・ゴナーマン・ダルゲティの娘)と結婚。階段から転げ落ちて死去した[1]
  • チャールズ・ホレイショ(1856年6月28日 – 1900年3月28日) - 1887年1月12日、エレン・ペティ(Ellen Petty、1900年12月12日没、G・W・ペティの娘)と結婚[1]
  • トマス・ホレイショ英語版(1857年12月21日 – 1947年9月30日) - 第4代ネルソン伯爵[1][11]
  • エドワード・エイガー・ホレイショ英語版(1860年8月10日 – 1951年1月30日) - 第5代ネルソン伯爵[11]
  • アルバート(1862年9月12日 – 1868年1月3日[9]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1936). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Moels to Nuneham) (英語). Vol. 9 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 69–72.
  2. ^ a b "Nelson, Horatio, Earl. (NL841H)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ "No. 19859". The London Gazette (英語). 26 May 1840. p. 1270.
  4. ^ "No. 20726". The London Gazette (英語). 23 April 1847. p. 1491.
  5. ^ "No. 23249". The London Gazette (英語). 10 May 1867. p. 2700.
  6. ^ "No. 22464". The London Gazette (英語). 28 December 1860. p. 5235.
  7. ^ Blain, Michael (2019) [2000]. The Canterbury Association (1848-1852): A Study of Its Members' Connections (PDF) (英語). Christchurch: Project Canterbury. 2023年8月27日閲覧
  8. ^ a b c d Lodge, Edmund, ed. (1907). The Peerage, Baronetage, Knightage & Companionage of the British Empire for 1907 (英語). Vol. 2 (76th ed.). London: Saunders and Otley. p. 1325.
  9. ^ a b c Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 3 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 25.
  10. ^ a b Lodge, Edmund, ed. (1892). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (61st ed.). London: Saunders and Otley. p. 466.
  11. ^ a b c Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. pp. 426–427. ISBN 978-0-7509-0154-3

外部リンク

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イギリスの爵位
先代
トマス・ネルソン
ネルソン伯爵
1835年 – 1913年
次代
トマス・ホレイショ・ネルソン英語版