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ヘンリー・アースキン (第12代バカン伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第12代バカン伯爵ヘンリー・デイヴィッド・アースキン英語: Henry David Erskine, 12th Earl of Buchan1783年3月 – 1857年9月13日)は、スコットランド貴族フリーメイソン。1832年から1833年までスコットランド・グランドロッジ英語版グランドマスター英語版を務めた[1]

生涯

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弁護士ヘンリー・アースキン閣下英語版(1746年11月1日 – 1817年10月8日、第10代バカン伯爵ヘンリー・アースキンの三男)と1人目の妻クリスチャン(Christian、旧姓フラートン(Fullerton)、1754年ごろ – 1804年5月9日、ジョージ・フラートンの娘)の長男として、1783年7月に生まれた[2]

1829年4月19日に伯父デイヴィッド・ステュアート英語版が死去すると、バカン伯爵位を継承[2]、1830年7月21日に貴族院で爵位継承を正式に承認された[1]

フリーメイソンの一員であり、1832年から1833年までスコットランド・グランドロッジ英語版グランドマスター英語版を務めた[1]

1833年時点の住所はエディンバラのミントー・ストリート(Minto Street)47号だった[3]

1857年9月13日にロンドンで死去、リポン大聖堂英語版に埋葬された[2]。息子デイヴィッド・ステュアートが爵位を継承した[2]

家族

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1809年9月28日、ロンドンでエリザベス・コール・シップリー(Elizabeth Cole Shipley、1828年10月5日没、サー・チャールズ・シップリー英語版の三女)と結婚、6男3女をもうけた[2]

  • メアリー・マーガレット(1811年5月27日 – 1891年11月13日) - 1838年7月23日、ウィリアム・ブラウン・コンスタブル(William Browne Constable、1852年7月19日没)と結婚、子供なし[2]
  • ヘンリー(1812年10月22日 – 1836年12月29日) - 1832年5月15日、ジェーン・ハリデイ・トリー(Jane Halliday Torrie、1886年9月11日没、アーチボルド・トリーの次女)と結婚、1男1女をもうけた[2]
    • ジョーン・ベリー(Joan Berry、1833年9月16日 – 1870年3月16日) - 1856年4月8日、ジョージ・イーデン・バイバー・アースキン(George Eden Biber Erskine、1866年7月25日没)と結婚、子供あり[1]
    • ヘンリー・シップリー(1834年8月21日 – 1849年9月21日) - 猩紅熱で死去、生涯未婚[1]
  • チャールズ(1814年11月 – ?) - 夭折[2]
  • デイヴィッド・ステュアート(1815年11月6日 – 1898年12月3日) - 第13代バカン伯爵[2]
  • ジェームズ(1818年 – ?) - 夭折[2]
  • クリスチャン・イザベラ(Christian Isabella、1820年10月 – 1886年7月3日) - 1840年6月4日、ジョン・ゴードン(John Gordon)と結婚、5男をもうけた[2]
  • アリシア・ダイアナ(Alicia Diana、1822年2月 – 1891年10月31日) - 1843年6月6日、サマーヴィル・ヘイ閣下(Hon. Somerville Hay、1853年9月25日没、第17代エロル伯爵ウィリアム・ヘイの息子)と結婚、子供あり。1858年1月5日、ジェームズ・ヤング(James Young)と再婚、子供あり[2]
  • ジョージ・フランシス・オールバニ(George Francis Albany、1823年9月 – 1894年7月10日) - 1889年、アグネス・マリア・メイソン(Agnes Maria Mason、J・M・メイソンの長女)と結婚、子供なし[2]
  • ジョン・マクローリン・フレイザー(John McLoughlin Fraser、1825年3月 – 1891年10月16日) - 1855年、アン・ソーン(Ann Thorne、1902年11月10日没、ウィリアム・ソーンの娘)と結婚[2]

1830年6月26日、エリザベス・ハーヴィー(Elizabeth Harvey、1838年12月17日没、ジョン・ハーヴィーの娘)と再婚、1男2女をもうけた[2]

  • エリザベス(1831年10月9日 – 1888年1月13日) - 1865年12月18日、ヘンリー・リー=ハーヴィー(Henry Lee-Harvey)と結婚[2]
  • ヘンリー・デイヴィッド(1833年5月29日 – 1857年7月30日[2]
  • マーガレット(1834年11月15日 – 1872年11月22日) - 1860年4月24日、サー・ウィリアム・ヴィンセント(Sir William Vincent)と結婚[2]

1839年6月26日、キャロライン・ローズ・マクスウェル(Caroline Rose Maxwell、1893年4月22日没、ジェームズ・プリムローズ・マクスウェルの娘)と再婚した[2]

出典

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  1. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 383.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Paul, James Balfour, Sir, ed. (1905). The Scots Peerage (英語). Vol. II. Edinburgh: David Douglas. pp. 277–280.
  3. ^ The Post-Office Annual Directory, for 1832-33 (英語). Edinburgh: Ballantyne & Co. 1832. p. 59. National Library of Scotlandより。

関連図書

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フリーメイソン
先代
キナード卿英語版
スコットランド・グランドロッジ
グランドマスター
英語版

1832年 – 1833年
次代
ダグラス=クライズデール侯爵
スコットランドの爵位
先代
デイヴィッド・ステュアート・アースキン英語版
バカン伯爵
1829年 – 1857年
次代
デイヴィッド・ステュアート・アースキン