プリンティング・ハウス・スクエア

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1886年のプリンティング・ハウス・スクエア。画面左下の「8」と番号が打たれているところがプリンティング・ハウス・スクエア。南西側を除き、『タイムズ』の社屋に囲まれている。

プリンティング・ハウス・スクエア (Printing House Square) は、シティ・オブ・ロンドンの区域内にかつて存在した、建物に囲まれた中庭のような形状の広場1666年ロンドン大火の後、この地に欽定印刷所英語版の役所が移転してきたことから[1]、まず「プリンティング・ハウス」(印刷所)のヤード(庭)、すなわちプリンティング・ハウス・ヤードと称されるようになり[2]、後にはヤードをスクエア(四角い広場)に置き換えて、プリンティング・ハウス・スクエアと呼ばれるようになった[1]。欽定印刷所は、1770年まで当地にあった[3]

1785年に当地で創刊された『デイリー・ユニバーサル・レジスター』紙は、1788年に『タイムズ』紙と改題して以降、永らくこの地に本社を構えていたが、1974年にここからグレイズ・イン・ロード英語版へ移転し、さらに1986年にはワッピングへと移転した[1]。グレイズ・イン・ロードの社屋はニュー・プリンティング・ハウス・スクエアと呼ばれた[4]

その後、南側のクイーン・ヴィクトリア・ストリート英語版、西側のブラックフライヤーズ・レーン、北側のプレイハウス・ヤードとアイルランド・ヤード、東側のセント・アンドリューズ・ヒルに囲まれたブロック全体が再開発され、プリンティング・ハウス・スクエアは姿を消した。再開発されたコンプレックス、BNYメロン・センター (BNY Mellon Centre) には、バンク・オブ・ニューヨーク・メロンのロンドンの拠点などが入っている[5]

脚注[編集]

  1. ^ a b c London: Printing House Square”. Michelin. 2018年7月1日閲覧。
  2. ^ 鈴木雄雅「新聞経営の先達者--ウォルター家と『ザ・タイムズ』(上)」『コミュニケーション研究』第40号、上智大学コミュニケーション学会、2010年、1頁。  NAID 120005881692
  3. ^ Blackfriars”. Institute of Historical Research/School of Advanced Study, University of London. 2018年7月1日閲覧。
  4. ^ Richards, Stephen. “TQ3082 : 222-236 Gray's Inn Road”. Geograph Britain and Ireland. 2018年7月2日閲覧。
  5. ^ Information Sheet” (PDF). The Bank of New York Mellon London Branch. 2018年7月2日閲覧。

参考文献[編集]

座標: 北緯51度30分45秒 西経0度06分09秒 / 北緯51.5124717度 西経0.102632度 / 51.5124717; -0.102632