フリードリヒ3世 (ヘッセン=ホンブルク方伯)
フリードリヒ3世 Friedrich III. | |
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ヘッセン=ホンブルク方伯 | |
在位 | 1708年 - 1746年 |
出生 |
1673年5月19日 神聖ローマ帝国 ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン、ケルン(Cölln) |
死去 |
1746年6月8日(73歳没) ネーデルラント連邦共和国、スヘルトーヘンボス |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ヘッセン=ホンブルク方伯領、ホンブルク、バート・ホンブルク城 |
配偶者 | エリーザベト・ドロテア・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
クリスティアーネ・シャルロッテ・フォン・ナッサウ=オットヴァイラー | |
子女 | 本文参照 |
家名 | ヘッセン家 |
父親 | ヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ2世 |
母親 | ルイーゼ・エリーザベト・フォン・クールラント |
フリードリヒ3世ヤーコプ(ドイツ語:Friedrich III. Jacob, 1673年5月19日 - 1746年6月8日)は、ヘッセン=ホンブルク方伯(在位:1708年 - 1746年)。
生涯
[編集]フリードリヒ3世はヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ2世と、クールラント公ヤーコプ・ケトラーの娘ルイーゼ・エリーザベトの息子である。父フリードリヒ2世がブランデンブルク軍の司令官を務めていたベルリンにおいて、文化的および精神的に進歩的な選帝侯の宮廷で教育を受けた。
1687年に堅信礼を受けた後、フリードリヒ3世はヴォルフェンビュッテルの騎士学校に入り、その後、ヴュルテンベルクで騎兵連隊に入隊した。1690年にオランダ軍の大尉、1692年にはフローニンゲン騎兵連隊の大佐となった。 1701年に准将、1704年に少将、そして1704年8月13日のブレンハイムの戦いの後に中将に昇進した。ユトレヒト条約までオランダ軍に留まり、その後バート・ホンブルクで領地の統治をおこなった。
フリードリヒ3世は、オランダに滞在していた間、領土の管理にあまり関与できなかった。ただ、1721年にホンブルグの孤児院を設立し、これは現在も「Landgräfliche Stiftung(方伯財団)」として現存している。財団に関する記録は、2010年8月にバート・ホンブルク市の保管庫に移された。
フリードリヒ3世の寛容な宗教政策により、クリストフ・シュッツの著書『Ein Geistlicher Würtz-Kräuter und Blumen-Garten oder des Universal-Gesang-Buchs(宗教的なハーブと花の庭、あるいは普遍的な歌の本)』のホンブルクにおける出版が許可された。
ヘッセン=ホンブルクの公的債務が大幅に増大したため、フリードリヒ3世は1738年に帝国の負債委員会(Debitkommission)により再びオランダで働くことを余儀なくされた。リエージュの総督となり、1741年からはブレダの総督を務めた。1742年には騎兵隊の将軍に昇進した。
フリードリヒ3世はスヘルトーヘンボスの知事であった1746年に死去し、バート・ホンブルク城の地下室に埋葬された。息子らはみなフリードリヒ3世より先に死去していたため、弟カジミール・ヴィルヘルムの息子フリードリヒ4世がヘッセン=ホンブルク方伯位を継承した。
結婚と子女
[編集]1700年2月14日にブッツバッハにおいて、ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ6世の娘エリーザベト・ドロテアと結婚し、以下の子女をもうけた[1][2]。
- 女子(1700年11月27日) - 死産
- フリーデリケ・ドロテア・ゾフィー・エルネスティーネ(1701年9月29日 - 1704年3月11日)
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ(1702年11月1日 - 1703年8月19日)
- ルイーゼ・ヴィルヘルミーネ・エレオノーレ・フランツィスカ(1703年12月2日 - 1704年8月20日)
- ルートヴィヒ・グルーノ(1705年 - 1745年) - ロシア帝国元帥
- ヨハン・カール(1706年8月24日 - 1728年5月10日)
- エルネスティーネ・ルイーゼ・ドロテア・シャルロッテ(1707年1月29日 - 1707年12月19日)
- 男子(1713年2月17日) - 死産
- 子(1716年?) - 死産
- フリードリヒ・ウルリヒ・ルートヴィヒ(1721年9月2日 - 1721年11月16日)
1708年10月17日にザールブリュッケンにおいて、ナッサウ=ザールブリュッケン伯カール・ルートヴィヒの未亡人クリスティアーネ・シャルロッテ・フォン・ナッサウ=オットヴァイラーと結婚した。この結婚では子供は生まれなかった。
脚注
[編集]- ^ “Friedrich III. Jacob Landgraf v.Hessen-Homburg”. Genealogy Database by Herbert Stoyan. 2014年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。5 October 2014閲覧。
- ^ “Hesse Homburg line”. Royaltyguide.nl. 2016年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。5 October 2014閲覧。
参考文献
[編集]- Johann Caspar Bluntschli: Deutsches Staatswörterbuch, p. 180
- Johann I. von Gerning: Die Lahn- und Main-Gegenden von Embs bis Frankfurt, p. 155
- Carl Eduard Vehse: Geschichte der deutschen Höfe seit der Reformation, p. 453
外部リンク
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