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フラー建築

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フラー建築株式会社(フラーけんちく、: George A.Fuller Company of The Orient Ltd.)とは、1920年大正9年)に設立され、1925年(大正14年)に解散した建設会社である。

沿革

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三菱合資会社日本郵船会社日本石油会社の3社が、それぞれ日本において大規模の建築を計画し、その施工を、当時多数の鉄骨構造による高層建築の実績があったアメリカのフラー[要曖昧さ回避]会社に発注しようとした[1]

各社の思惑より、三菱合資会社とジョージ・A・フラー会社英語版が日本において合弁会社を設立し、同社が日本において業をなすことが図られた。上述趣旨より1920年(大正9年)3月19日、資本金40万円をもってフラー建築株式会社として設立された[1]

そして1922年(大正11年)には日本石油会社有楽館クレセントビルを、1923年(大正12年)には日本郵船会社郵船ビルディングと三菱合資会社丸ノ内ビルヂングの建築を完成させた[1]。しかし同年発生した関東大震災で東京の上記3建築は日本興業銀行本店や東京海上ビルディングより程度大に被災し、これによって会社は若干の非難を集める結果となった[1]

以後、東京・政友会本部と中国・満鉄総合病院を手がけた後、1925年(大正14年)5月29日をもって解散した[1]

出典

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  1. ^ a b c d e 三菱地所株式会社社史編纂室 1993, pp. 232–286.

参考文献

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  • 三菱地所株式会社社史編纂室 編『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、三菱地所株式会社、1993年3月6日。全国書誌番号:93064482 

関連項目

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外部リンク

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