ビリャル (ヴォルガ・ブルガール)

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ビリャルの遺構

ビリャルロシア語: Билярタタール語: Биләр / Bilärチュヴァシ語: Пӳлер)は10 - 13世紀に存在したヴォルガ・ブルガールの都市である。

歴史[編集]

10世紀のアラブ人旅行家イブン・ファドラーンの記録によると、ビリャルは922年にブルガールの長アルムシ(ru)[注 1]によって建設された[1]。考古学的見地からも、ビリャル城址の最初期は10世紀に遡る[1]。ビリャルは西ザカミエ(ru)(現ロシア・タタールスタン共和国カマ川南部)の中心に位置した。現行政区ではタタールスタン共和国のアレクセエフスコエ地区(ru)ビリャルスク村(ru)(タタール語名Биләр / Bilär)にあたる。

ルーシの年代記(レートピシ)では、1164年以降にビリャルに関する記述がみられる。年代記中では「Великий Город / 大いなる城市」とも呼称された[2]。その人口は10万人を超え[3]、ビリャルの名はその人口に由来する[2]。13世紀にはヴォルガ・ブルガールの首都となった[4]。ルーシの年代記上の最後の言及は1236年であり、この年、ビリャルはモンゴルのヴォルガ・ブルガール侵攻に際し破壊された。その後、かつての威光を取り戻すことはなかった[5]

ビリャルの遺構は8k㎡に及び、他のいくつかの城址と共に、ビリャル歴史・考古・自然保護博物館[注 2]に管理されている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「アルムシ」はロシア語: Алмушからの転写による。
  2. ^ 「ビリャル歴史・考古・自然保護博物館」はロシア語: Билярский государственный историко-археологический и природный музей-заповедникの直訳による。詳しくはru:Билярский музей-заповедникを参照されたし。

出典[編集]

  1. ^ a b БИЛЯ́Р // Большая российская энциклопедия
  2. ^ a b 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) : 『キエフ年代記集成』(1181〜1195年)」『富山大学人文学部紀要』第68巻、富山大学人文学部、2018年2月、184頁、CRID 1390572174764448768doi:10.15099/00018264hdl:10110/00018264ISSN 03865975 
  3. ^ Халиков А. Х., Татарский народ и его предки, Казань, Татарское кн. изд-во, 1989, С.93,
  4. ^ БИЛЯР // Советская историческая энциклопедия
  5. ^ Биляр // Большая советская энциклопедия