ビアース川の戦い
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ビアース川の戦い | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
チャガタイ・ハン国 | 奴隷王朝 | ||||||
指揮官 | |||||||
ギヤースッディーン・バルバン ムハンマド・ハーン † |
ビアース川の戦い(ビアースがわのたたかい)は、1285年にチャガタイ・ハン国と奴隷王朝の間で発生した戦闘。奴隷王朝のスルタンであるギヤースッディーン・バルバンは、チャガタイ・ハン国に対抗するためムルターンとラホールに己の「血と鉄」と称する要塞線を張り、ビアース川をその一部と位置付けていた。ここで奴隷王朝軍はチャガタイ・ハン国軍を撃退することに成功したが、指揮官であったギヤースッディーン・バルバンの子ムハンマド・ハーンは戦死した[1][2][3][4]。
一次史料
[編集]- Tarikh-i-Firuz Shahi ジャウッディーン・バラーニー
脚注
[編集]- ^ Satish Chandra (2004). Medieval India: From Sultanat to the Mughals-Delhi Sultanat (1206-1526) - Part One. Har-Anand Publications. pp. 66–. ISBN 978-81-241-1064-5
- ^ Kausar Ali (1978). A new history of Indo-Pakistan: from Dravidians to Sultanates. Aziz Publishers
- ^ John McLeod (2015). The History of India. ABC-CLIO. pp. 42–. ISBN 978-1-61069-766-8
- ^ Jaswant Lal Mehta (1979). Advanced Study in the History of Medieval India. Sterling Publishers Pvt. Ltd. pp. 131–. ISBN 978-81-207-0617-0