ノート:石原慎太郎/過去ログ3
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大量消去・財政問題など
[編集]議論を経ずに数千字もの大量消去するのはおやめください。
また、都財政に関する問題ですが、『財政再建に「一つの区切り」がついた』[1]のは都のページによれば『景気回復による好調な企業収益を反映した都税収入の増加により』とあるので、石原氏の政策の成果ではないと断言できると思うのですが。
また、借金は現実として増え続けており[2]、石原氏が財政再建をしたというのは全くふさわしくないと思います。--Arctic hospital 2007年1月31日 (水) 17:13 (UTC)
完全に否定・批判・悪口しかないものを、載せ続けるほうがどうかしている。この文の、どこが「中立」ですか? 最初にルールを違反した人間が、自分の立場を保護する時だけ「ルールを守れ!」というのはおかしいでしょう?
石原が都知事になってから、都は、「財政再建プラン」なるものを打ち出して、収益の改善につとめました。また、バランスシートを採用、収支のバランスを計ることによって、対応をとることができた。昔、会計の勉強をしたこともあるそうです。だから、指示してやれたのでしょう。
私も、別に褒め称える内容だけを書け、と言っているのではない。それはそれで、気持ちが悪い。でも、あなたが石原に対する恨みからしか編集してないことは、あなた自身が一番ご存知なのではないですか? それは、自分のブログやサイトにでも公表されればいい。ここは、そういう場ではないはずだ。
景気回復について、影響があったのは確かだし、都が書くのは当たり前です。ですが、「それのみ」という根拠って何なのでしょう? 他の地方自治体は、東京ほど激しく財政が良くなっているところばかりですか?
履歴のところはきれてしまったが、話し合いには応じます、と書くつもりでした。どうなるかは分かりませんが。--もも太郎2007年1月31日 (水) 18:56
- 単純な話し、批判されてる対象人物(石原)と↑同じ視点&視線(とくに、インテリのみならず大衆、て件りは、まるで大衆にインテリが存在しないかのような口吻)であれば不利な事実の列挙が憎くなる、そんな動機なのかな。この人の一所懸命かいたり消したりしてる姿勢、一体どこが「中立」なんだろ。自分のブログやサイトにでも…ってのは、かいた本人へそっくり返したい。別段Arctic hospitalさまが石原個人に対する恨みを抱いてるなんて感じないけど、かいてる人がArctic hospitalさまへ個人的な恨みを抱いてる印象は、うけちゃうよね。
- さて
- 新銀行東京の累積赤字
- 外形標準課税の敗訴と多額の還付加算金
- 臨海開発の財政破綻
- 沙汰止みのカジノ構想
- 戸塚宏の擬似科学に共感
- 北京のすぐ後に東京オリンピックが開催される可能性のなさ
- に就いて一切なにも反証せず、ザクッと削除するのが「中立」なんだろか。不思議だ。
- そして
- まだ成功してない横田基地の返還を、もう返還すでに成った手柄みたくかく
- あきらかに女性蔑視の観点をうかがわせた発言へ、他人様の引用なんだと責任の転嫁をかく
- 「北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んでくれたら」こんな暴言にすぎないものを刺激的な、とかく
- と、まあ擁護、弁護の数々を、どうして「中立」だと自画自讃いうのか。まったく不思議だ。--タノQ 2007年2月1日 (木) 06:27 (UTC)
大衆にインテリが存在しない、などとは言っておりません。ただ、大衆に「賢い人」「物知り」が含まれたとしても、大衆のもともとの定義はそうではない。インテリという定義も、大衆ではない。それなら、改めて二つ並べて書いたほうが分かりやすい。それだけのこと。
恨みではない? だったら何なんですか? 投票によって選ばれた一人の人間を、あそこまで侮蔑した解釈を繰り広げる、その動機って何なのでしょう。そして、都民はそんな人物をこれまでずっと支持してきた。そっちのほうが「大衆を馬鹿にしている」。あなた方の解釈が、そうであるならば…。だけど、私はそうは思っていません。むしろ、大衆は賢い、くらいに考えています。まぁ、この論はここまでにしましょう。
中立のくだりは、まぁ貴方も同じ類なんでしょうね…。過去はいろいろ論議もあったようですが、今はもう対象を批判する分にはタダみたいな感じなのでしょうか…。
結論が明らかでないものを、片方にだけ真実があるかのような、その手法はやめてほしい。 まず、一般の意見や考えと思われる意見や内容を載せて、傍流のそれを載せる。または、どちらか判別しにくいものは両論併記にする。公平とか中立を心がければそういう努力に連なると思います。元の文は、一部の人達の偏った解釈しかなかった。いや、ない。
後段への答えです。
私が弁護して中立というのは、当たり前です。否定されてばかりのものを、肯定してあげる人間がいなかったら、きちんと真ん中に立ちませんよね? 逆に、私が石原に都合の悪いことを全部省きましたか? あなた方が、財政が実際に良くなったのを「借金」の件だけ言っているような、そういう真似はしていないつもりです。
あなた方も、少しはこだわりを捨てて「石原側」の意見や考えに耳を澄ましてみたらどうですか? 批判や否定は、その後にだって出来るでしょう?
- うーん(ーー;)けっきょく恨みが動機で、石原側だと白状してるじゃん(爆)大衆の多くが物知りでも賢くもない、だと定義いってるじゃん(再爆)逆に、私が石原に都合の悪いことを全部省きましたか、なんつって省いたじゃん実際(ド爆)あいもかわらず反証ゼロで…頭ひやしてよねえ。--タノQ 2007年2月1日 (木) 12:11 (UTC)
タノさんの思考回路は、どうやら特殊のようですね・・・。大衆といえば、私は吉本隆明が好きでしたね。彼は決して大衆に対して偉ぶらなかった。そのことをテーマとして生きてきた。右でも左でも、そのことが透けてみえる人は嫌いです。石原は、偉ぶってみえる人が多いようですが、私はあまりそう感じたことはないです。今度、それもまとめようかと思います。
私は、石原は好きですよ。でも、こういう場で私が石原を評するときは、なるべくいいも悪いも含めて書くようにするのが当たり前だと思っているし、私があなた達より「先に」記事を書いても、あなた方の裏返しで「褒めるだけ」の記事は書かなかったでしょう。批判的な内容も汲みいれて、書いたと思います(でも、今後は「バランスをとるために」褒める記事を書きます)。 私は、あなた方のように恥知らずではないからね。
世の中には、石原を批判する人と評価する人がいる。でも、ここには批判する内容しかない。 どう考えたっておかしいでしょ、それ。
一つ、感づいたことがあるんですよ。外形標準課税で、あなた達は損した、損したといってますね、都が。私は、ずっと不思議でした。これも、財政と同じく、マイナスのことばかり見つめて、もうそれだけで終わり。タロさんの人物批評と同じく(笑)そこに「勘違い」の目があるんでしょうなぁ・・・。よく調べもしないで、借金がこんなに多額だとだけまき散らかして、評判を落とした責任なんて感じようもないですね。 今度、それを書きます。楽しみにね。
- どうやら特殊、のタロです(^^)どーもー、なんつって。
- 署名しない人は名指しをしないんだけど、上で一所懸命タノにケチつけてる回答、そのまえの回答、先立つ回答、みな感情論にすぎないのよね。いわく先にルール違反されたんだから(そうか?)ルールを守れといってくるな。いわく石原の弁護は弁護だから中立なのだ。いわく石原の批判は批判だから中立でない。いわく石原を批判するのは侮辱だ。石原を侮辱するのは大衆への侮辱なのだ。自身はヨシモトが好きなので大衆に詳しい。敗訴も借金も損してないのだ。云々かんぬん。ずーっ、と延々と断定を、くり返し断言して下さるばかりで、中身はというと批判したら偏向だと一方的に説教してるだけじゃん。自己性善説っていうのかな。批判性悪説みたいな感じ。頭ひやしてよねえ。
- あのね、批判うけても致し方ない言動したら批判される、そんなシビアな任務に就いてる人間の一人として石原は価値あるんだろーけど、だから批判うけても致し方ない言動したら批判される、これ当然だよね。ていうか社会に関ってたら誰だって批判うけても致し方ない言動したら即座に批判される。いま批判ばかりだと勝手に決めつけてるけど、以前は手放しで絶賛する提灯記事みたいのが多くて、ファン頁みたいだったの。
- そもそも事実をかいて削除される謂れが、あるのかいな。それも単独の行いで。
- けっきょく好き嫌い、気持が悪い、などの嗜好と動機に基いた恣意的な編集する
- 議論になると感情論にすがる
- あげく相手を恥知らず、特殊、どう考えたっておかしい、と罵倒する
- こんな↑中立もあるんだ…あるいみ凄い。ギャグなんだろーか。
- 勝手に他人様をスケルトンの右だ左だと(その他にも)いろいろ定義するのがお好みの模様なんだが、タノQの何をご存知なんだろうねえ。私は自分をド真ン中だと仮装する所存なんかないし、けど人と機会によって私は右に解釈されたり左に解釈されたりするんだな、これ。自分を中立だと誇大するのは、もうとっくに卒業してるぜ。
- ちなみに議論と呼べる範疇の議論が終着しない内は、勝手な加筆をしないでね。
- 「楽しみにね」は、チョッと性急。よろしくて?--タノQ 2007年2月1日 (木) 21:14 (UTC)
タロさん…あなたも十分に感情的ですよ(笑)。
これだけ言ってもまだ理解できませんか? 私が弁護するのは、一方的な視点のみから批判だけされてたからです。 さんざん説明したつもりですが、これ以上はあなたの読解力のような気が半分しますね。 「手放しで絶賛する提灯記事みたいのが多くて、ファン頁みたいだったの」…。それはそれで問題でしょうね。 石原の悪口しか書かれてないwikiは、あなたにとっては問題ないのですか? 「好き、嫌い」が云々というのは、これほど石原の非難しかない頁に違和感の感じなかった、あなたに言う資格はないと思いますね。
財政の件ですが、少しは自分で調べてみたらいかがでしょうか?
「平成18年度予算において、財源不足の解消に加え、『隠れ借金』も大幅に圧縮するなど、財政再建に一つの区切りをつけることができました」と、都のホームページにはあります。
一般に、他の都道府県と比べるには「普通会計」を用います。借金17兆円とか、どこかのサイトにありましたが、あれは「全体財務」を用いた額であって、検討には値しません(第一、全体の都道府県で「全体財務」などというバカ正直な会計を作成したのはどのくらいあるのだろう?)
「負債」の件だけを語っても、意味はないんです。「資産」と併せてみなければダメなんですよ。 たとえば、100万借金をしているけど、貯金が200万ある。その借金が「負債」、貯金を「資産」といいます。
100万の借金に年1%の利息がついても、100万の貯金に利息が2%ついたら、借金があっても貯金のあるほうが得ですよね? 返して、貯金を減らすのよりも。つまり、全体で考えなければ駄目なんですよ。でも、石原批判の人達は、借金、その「負債」のことしか言ってこなかった。
正味財産が重要です。資産を、負債で引きます。正味財産を、全体の資産で割った額を正味財産比率といいますが、それがやっと50%台を超えました。これは、負債、つまり将来の世代が請け負うべき負担が軽くなったということです。 これでも、まだ財政が良くなったことを認めませんか?
あなたは、細かい点をあげて「それを立証しろ」と言われる。 私も、できればそうしたいけど、それをするには時間も暇もないし、他のあからさまにおかしいところに手をつけたほうがいいのか、考え中です。 ただ少なくとも、あの内容をして良かれと思っていた立場の人に正論めいたこと言われたくないですね。
外形標準課税の件ですが、事業税のノートに、大損というのは誤認である理由を書いておきました。目を通してみてください。--もも太郎 2007年2月4日 (日) 11:51 (UTC)
- どうやら特殊で読解力のような気が半分して言う資格はないらしい、タロです(^^)どーもー、なんつって。
- ところで「あなたも」は、ないだろ。…ま、いいか。感情的になってらっしゃるから通じないわけだけど、前から申すとおり、私も含めて他人様へラベルやレッテル貼る作業、これ悪趣味だし、やめない? 私は具体的に何処が如何だと箇所を指摘するのに、かたやラベルさんは時間も暇もなくて細かい点に付き合えないという。でも、いい乍らラベル濫発する作業は時間かけて手放さない。もの凄い、ご都合で便利な、中立(自称)。それで「あなたも」とか自由自在に相手へ伸びたり縮んだりする物差し、迷惑で危ないッスよ。
- ついでだから訊くけど「あなたも」ていう根拠はナニかな。私は事実の指摘と記入しかしてなくて、そちらサンはイメージに基いた想像と編集なのよね。違うと仰るなら論破して下さいな。ただ私は暇だから参加してるだけであって、感情的になるくらいウザ苦しいなら辞めてるんだな。
- 会計に就いて色々いって下すってるが、帖面は飾ることができるんだなあ、これ…私は経験上、知悉してるんだよ、ね。そんなことより、要らぬことして訴訟沙汰になって敗訴して却って要らざる銭失いをする、ってのは誰が鑑定してもミスで手落ちで失態であって、損害でしょ。そこまで弁護して誰をハッピーにさせたいの。
- 署名なしに加えて相手のアカウント名を損う人へ、いってるんだけど。…ま、いいか。感情的になってらっしゃるから通じないわけだ。
- まず議論ぬきでの大量編集
- (苦言を呈されたら)先にルール違反されたんだから(?)ルールを守れといってくるな
- 石原の弁護は弁護だから中立なのだ
- 石原の批判は批判だから中立でない
- 石原を批判するのは侮辱だ。石原を侮辱するのは大衆への侮辱なのだ
- ヨシモト好きだから大衆に詳しいのだ
- 石原は好きだ
- (苦言を呈されたら相手を)恥知らず、どう考えたっておかしい、特殊、読解力が資格がない
- 相手が右なのか左なのか透視できる
- (自身からトラブルを起しておいて)時間も暇もなくて細かい点に付き合えない
- (↑といっておいて)相手への罵倒は止めない
- こんな態度↑を世間ではナンと呼ぶか、知ってる?
- 石原への批判が多ければ直ちに中立でないなどと、そんな単純な分量や桝目の問題じゃあないでしょ。批判を招く行為言動を実行すればするほど批判点が比例して増殖しちまうのは、自然界の法則じゃないのかな。やってる石原当人に羞じてる気分が薄い、まことに薄いのは事実だから、いちいち弁護しなくても石原は困らず不自由を覚えないんじゃないの。
- そちらサンが誰を好きで誰の本をよんでるか、なんてな個人的極小サイズの日常報告は、とりあえず斯件に関係なくて不要だし興味ナッシング。私は例えば、そちらサン個人に関心があって憎しみにせよナンにせよ私情を抱いて…なんてな悩ましいネット参加してないから。個人的極小サイズの日常報告とか個人的嗜好の話題とか、やりたいだけやりたいなら、ご自身でいってた通り自分のサイトかブログ拵えて存分にやればグッド。おそらく誰も邪魔しやしない。--タノQ 2007年2月4日 (日) 03:33 (UTC)
「自己性善説」「批判性悪説」「嗜好と動機に基いた恣意的な編集」「議論になると感情論にすがる」…。 で、何ですか、「感情的になってらっしゃるから通じない」というフレーズが、感情的に何度も出てきますが…。これらは「レッテル」ではないのですか?「自称中立」もそうですね(笑)。
なんだか、私があなたに貼ったレッテルのほうが、あなたが私に貼ったレッテルより可愛らしい気がするのは、気のせいなんでしょうかね? これだけ私へのあてつけだか皮肉だか増えた文体の中で、よもやあなたは今だ自分をそうとらえているのですか? 難しい人だなぁ、あなたも(笑)。
あなたは、非難される言動をしたなら量や桝目は問題ではない、という。 私は、そうではないと思う。やることなすこと、全て失敗したといいたいだけの頁だったですよね。あなたの嫌いな石原ファンサイトの裏返しとどこが違いますか? 「馬鹿ではない」大衆の評価は、賛美ばかりでもないし非難ばかりでもない。 特定の思惑による、否定ばかりの「人物評(政策も含めて)」があるとき、やや強引ではあるが肯定の意味合いを強めるのは自然だと思います。緊急避難的ではありますが。
非難、否定…。それだけに染まっていないページにイライラする、そういう人達にあわせるつもりはないし、間違っています。
非難していたのが、一部であったのか多数の人間であったのか。その非難が、非難した結果、国民や大衆にどう広まったのか…。それらが全く勘案されてないまま、「一般論」として語られた批評は、「ずるい」。 あなたがおっしゃってる様々なルール、これが先だろ、こうしろ…というのは、なんだか石原を嫌いな人達にとってだけ都合よくできているんですよね。ずーっと議論して、議論している間、特定の人達の間の「通説」が、世間一般の人達の「通説」として表記されたり。
財政の件でもそうですね。その間、それを信じてしまった人もいるわけだ。借金の記載なんか、どうみたっておかしかったでしょう? あなたが少し分かっているというのなら、なんでそれを直そうとしなかったんですかね? あの記載を見過ごしておいて、直した人間にだけ文句を言う…。失礼ですが、説得力ないですね、いろいろと。
帖面は飾ることができるんだなあ…って、あなた都の主税局がそんなことをやったという確証でもあるんですか? 石原を非難する記事には、さわらず触れずで、いざ都が発表している財政収支から分かる当たり前のことには、大いなる想像力を働かせて「こんな可能性もある」と言われる。滅茶苦茶です。
あと、ヨシモト好きなのは結構ですが、もう少し真面目な文体で書かれてはいかがでしょうか? 芸風として誇示しておられるのでしょうが、その実力は十分分かりましたので。--もも太郎 2007年2月4日 (日) 11:51 (UTC)
- ヨシモト好きッていったっけ? かいてた通り私じゃなくてキミだろ、ヨシモト好きは(故意に間違えたり名前も間違いくり返し)況々もって悪意に満ちてきた。なんだこれ、いわれたことをいい返してるだけじゃん…どういうノリなんだか。学校の喧嘩じゃないんだよ。
- 私はね
- まず議論ぬきでの大量編集
- (苦言を呈されたら)先にルール違反されたんだから(?)ルールを守れといってくるな
- 石原の弁護は弁護だから中立なのだ
- 石原の批判は批判だから中立でない
- 石原を批判するのは侮辱だ。石原を侮辱するのは大衆への侮辱なのだ
- ヨシモト好きだから大衆に詳しいのだ
- 石原は好きだ
- (苦言を呈されたら相手を)恥知らず、どう考えたっておかしい、特殊、読解力が資格がない
- 相手が右なのか左なのか透視できる
- (自身からトラブルを起しておいて)時間も暇もなくて細かい点に付き合えない
- (↑といっておいて)相手への罵倒は止めない
- こーゆー↑キミの具体的な状況、言動、態度から
- 自己性善説
- 批判性悪説
- 自称中立
- 嗜好と動機に基いた恣意的な編集
- 議論になると感情論にすがる
- ↑だと結論を導きだした、そう何度もナン度もかいてる。キミのいう、あてつけ皮肉ぬきに直言で。これレッテル貼じゃないぜ。しかもキミのいった、恥知らず、どう考えたっておかしい、どうやら特殊、もう読解力、資格がない、と比べて、それこそ当り障りない表現なんだけど。ひょっとして、つらかったのかな、キミは。もっと優しく慈悲にあふれてたら、よかったのか。なんだかよくわからん。
- 対してキミ、感覚的に断定を断言してるばっかりじゃないの。恥知らず、どう考えたっておかしい、どうやら特殊、読解力だの資格だの、つってさ。頭ひやしてよねえ、頼むから。このレッテル貼につけるキミの論拠といったら、あいかわらず弁護だから中立、批判だから侮辱、ただ、それだけ。
- さて↓ここから肝腎。編集方針に就いての議論だね。
- 非難される言動をしたなら量や桝目は問題ではない、といった私の発言
- とは、いってない。批判されるような行為言動の数に応じて批判の数は増えて当然だとは、かいた。キミの云い換えではニュアンスが変っちゃって、大切な、行為言動の数に従う批判の数の相関、これが脱落してる。批判は批判であって、非難じゃないし。不利な事実が仰山あるから消去して回る、ってのは中立じゃあないのだ。云い換えも中立に適合しやしないよ。
- 財政収支へ私が大いなる想像力を働かせた可能性の話し
- も、全然かいてない。別に粉飾してなくても帖面は飾られたもんだ。もともと悪意がなくても、どこでも、そんなもん…資産の巨きい企業が急に資金回らなくなって破綻するのは何故だか知らないの? 勉強不足じゃ。
- 通説との指摘
- 事実だったら削除しなくていいんじゃないの。事実であれば賞賛を載せてもいいじゃんか。事実に対して、通説なんだからどーたらこーたら、中立じゃあなくって痛切なんだな。
- 違和感の感じなかった、あなたに言う資格はない
- 見過ごしておいて、直した人間にだけ文句を言う
- これ↑俺がルールブック!宣言かなあ。
- キミの編集方針に就いて警告
- 議論が終着してないのに、また編集作業したね。自分のやりたいようにやりたいならサイトつくるかブログやんなさいッて、忠告したでしょ。ここは共同作業の場であってキミの庭じゃない。マイワールドとかマイルールつづけるつもりなら、私はイヤな作業を選択しなくちゃならない。そんなことの為に参加してるんじゃないので、やりたくない。そーゆーこと。--タノQ 2007年2月4日 (日) 15:19 (UTC)
「学校の喧嘩」という言葉をそのままあなたに返したい。 他人が言ったときだけレッテルだの皮肉だの、自分の場合には「直言」「結論」と区分けするあなたの思考性は便利だな、と思う。
自分も、不毛だからもうそろそろこの部分は切りたい。でも、これだけは残しておくよ。
・石原の弁護は弁護だから中立なのだ ・石原の批判は批判だから中立でない ・石原を批判するのは侮辱だ。石原を侮辱するのは大衆への侮辱なのだ←今までの書き込みの中で、全部説明してる。その意図を理解しようともせず、このような言い方をするのだとしたら、これはもう「レッテル」以外の何物でもないよ。
・ヨシモト好きだから大衆に詳しいのだ←これについては謝るよ。片仮名で書いてるから、お笑いのほう頭に浮かんだ(笑)。ごめんね、悪かったよ。洒落には洒落で返したというか、深い意味はない。IDも間違えて悪かったね。
・相手が右なのか左なのか透視できる←まぁ、左で石原嫌いが多いのは当然だと思いますけど、右でも嫌いのはいると思います。でも、それが?
・(自身からトラブルを起しておいて)時間も暇もなくて細かい点に付き合えない←一番最初に「トラブルを起こした」のは、「中立性の観点」を無視した側だということが、まず一つ。そういう人(達?)に、そこまでの強制を受けるいわれはないな。まぁ、喧嘩売るわけじゃないけど、実際のところね。
・自己性善説 ・批判性悪説 ・自称中立←私ではなく、あなたの立ち位置がおかしいだけ。借金だけしてたような記載には目をつぶってさ。「敗訴も借金も損してないのだ」なんて、別に言ってないよ? 私があなたに「レッテルを貼る」と受け止めされるとすれば、そういう傾きがあるからかもね。
・嗜好と動機に基いた恣意的な編集←これも、自分が来る前の人に言ってください。もしくは、自分自身に(?)
・議論になると感情論にすがる←「感情論」ねぇ…。私は、各論にいきつく前の、最初の前提って大事だと思うな。「常識」と言ってもいい。まず、そこを認識しないと、各論を議論しても無茶苦茶になるだけだ。あなたの常識は「自然界の法則」とやららしいけど。
まぁ、それを言うと、大量削除(実際は、前の文を活かして書き換えただけなんだけどな…過剰な批判、一部の報道でだけ誇張されてる批判だけ削って)の件を持ち出すのだろうけど、「優先順位」の違いだ。石原の非難であれば何を書かれていても問題ではないあなたにとって、おそらく「削除」の件だけが重要なのだろう。だけど、本当はその手前にあることが重要なのだと思う。
(編集方針)
非難される言動をしたなら…どういう立場の人が非難をしたのか、それが一般的にも受け入れられる普遍性、客観性を持っているかどうか、が重要でしょう。ある党派性を持った批判(非難?)が増えていって、「批判される言動をしているからだ」というのは薄気味悪い気がする。あなたのことというより、その状況がね。
たとえば「石原都政はゼネコンへのばらまきを重視する土建屋行政としても知られており」なんて、明らかに左派系の論壇の物言いでしょ(宝島のような例外はあるかもしれんが)。それが共通認識のようにいうのは、ね。言う人がいるのは知ってますよ。でも、そんなの全体の意識ではない以上、「…と思う人がいる」くらいのほうが適切だ。でも、ここでは当たり前のように前者の表現だ。
財政収支へ私が大いなる…なんで、借金の額だけが誇張して語られてたときには何も言わなかったくせに、そういう時だけ「俺は知ってるんだぜ」みたいな顔をするの?
通説…一部の人達にとってだけの「通説」はね、「事実」とは異なる場合がある。どちらがよりリアルか、世間で認知されているのは、どちらの主張が色濃いのか。あるいは、論壇や報道の場だけで躍っている話なのか…。そういうバランスに則って、相異なる意見をブレンドし、どちらがどう優越でもないのなら、「両論併記」にするとか、ね。今は、片方の意見が突出してるだけですよ。
これ↑俺がルールブック!宣言かなあ。…あなたもそんな感じだよ。公平感を感じるレフェリーが、ルールに従ってジャッジするのならそれで構わないけど、実際はそうではない。こっちのときだけスリーカウントが早くなるような気がするな(笑)。
キミの編集方針に就いて警告…あなたがその件で受けたストレスの何十倍ものストレスを、こちらは受けている。私が手直ししたのは主に「人物像」を初めとするほんの一部で、現在でも圧倒的に一方的な立場からの記載のほうが多いからね。でも、とりあえず、今の段階ではこのページは書き換えはしないことにする。先に書いた人の内容が、どんな内容であっても保護の抑止が強いのはどうかと思うけど、書き換えされた人の気持ちも、分からんではないしね。
また、勘違いされてるようなので、念を押して言っておく。「ブログにでも書け」というのは、このwikiの石原評だ。
まぁ、長くなったな。次からは、お互いに、あまり刺激しないで冷静に議論したいですな。 あなたが気をつけるのなら、私も気をつけるよ。では、今回はこれにて。--もも太郎 2007年2月4日 (日) 17:45 (UTC)
・・・って、締めようとしたら、タノさん元に戻してるんだね…。こちらの文に戻せとは言わない。横田のその文、まるごと削除してください、あなたが。私がやると、また波風立つんでしょ? ならば、あなたがやってください。そして、議論した後に、それを立てるようにしましょう。
どんな内容であっても、「先にある」というだけで事の真偽に関わらず強固に守られるべき理由がわからない。--もも太郎 2007年2月4日 (日) 18:00 (UTC)
- しつけーなあ…さすがの私も不快指数が徐々に上昇モードだよ。如何なる謂われを以って私が私の意思なく誰かの命令へ従って編集作業しなきゃならないのかね。議論が済んでないのに編集へ取りかかるという得手勝手なキミのルール違反行為を差し戻しただけで、こんなド頭ごなしの下知を授からなきゃならないのは一体ナンの罰ゲームだ。王様ゲームかいな。
- ていうかキミは何王様だ。いわれたことをオウム返しに連呼して返すのはやめなよ、つっても通じないし。私と違ってストレス多大なら、そもそもネット参加なんか無理でしょ。こうかいたら、またオウム返しに返すんだろーけどさあ。もっとビシビシいった方がいいのかな、手加減せず。
- キミは面白いから私のブログのネタにさせていただく。まだ自己中心的な(自身は他人と違って中立なのだと)編集や強要を続行するなら必要な手続とらざるを得ないのよね。いわゆる最期通告だ…私はマジになったらなったで面倒がらず本気だす時があったり、する。
- ちなみに無理して背伸びして返答するなら、返答無用に願う。--タノQ 2007年2月5日 (月) 06:42 (UTC)
あれだけ相手に「(都合の良い)wikiの規範」を押し付けておきながら、最後は「脅迫&俺のブログに書いちゃうぞー宣言」ですか…。やれやれ。ところで、あなたのブログって「このサイト」のことですよね? もちろん。
ネット上でwikiなんて…というフレーズを幾度となく見かけましたが、それはあなたのような方が出張っているからかもしれませんね。私はもう来ません、必要もないと感じました。
どうぞ、安心してネバーランドにご滞在下さい。では。--もも太郎 2007年2月5日 (月) 16:59 (UTC)
- 無理して背伸びして返答するなら返答無用、ってかいたのに。ほんと、しつっこくネバるよね。キミはネバネバランドか。
- ま、もう参加しないそうだから何かいても無駄だろうけど(ていうか今までの対話ぜんぶ徒労だったけど)投稿ブロック依頼をしたくない、でもする時にはする、てのが脅迫? あらら。そんなもんにビビッて、いちいち脅迫だと感じてるんなら、やっぱりストレス過剰でネットなんか無理でしょ。もう参加しないという選択は、だからグッド。私もブロック依頼なんて作業したくなかったから、丁度いい感じ。
- ブログのネタにさせていただく、てのが宣言? あれは宣言でも宣伝でもなくって、ただの予定報告だ。こっそりネタにされたら、いやでしょ、キミ。だから予定報告。いちいち過激に敏感に受けとってるから、ストレスの素なの。
- あのね、つっこみ忘れてたけどキミが「これだけ私へのあてつけだか皮肉だか」って、こちらを指して非難するから「キミのいう、あてつけ皮肉ぬきに」って返したのにキミは「他人が言ったときだけレッテルだの皮肉だの」なんて、まるで私がキミを指して皮肉よばわりしたかのように逆転させて自己弁護したり、「事実だったら削除しなくていいんじゃないの。事実であれば賞賛を載せてもいいじゃんか」て私かいてるのにキミは私を「石原の非難であれば何を書かれていても問題ではない」なんて、私がかいたのとまったく意味を換えたり(ちなみに引用の箇所は時系列に従ってならんでいる)量や桝目の話しにせよ財政収支の話しにせよ私がかいてないことをかいたように歪曲したり(先に指摘済の件)などなど、あからさまな議論妨害なのよ。単独で一方的に大量な削除もルール違反だし、これら議論妨害もルール違反だし、キミにとってはルールなんかどうでもいい感じ、かね。迷惑じゃ。
- ところで、ウィキペディアと私のブログと同じように視えてるらしいけど、キミんちのパソコン、表示がおかしいから修繕してもらった方がいいよ。
- では、アデュー。--タノQ 2007年2月6日 (火) 09:03 (UTC)
財政問題について
[編集]上の議論が見にくくなっているので別に立てます。
悪口と実在する批判というのは全く別であって、悪口は書くべきではないし、実際存在する大きな批判は書くべきです。
主観的な悪口と認識するものがあればここで指摘してください。
利用者:もも太郎さんの『石原が都知事になってから、都は、「財政再建プラン」なるものを打ち出して、収益の改善につとめました。また、バランスシートを採用、収支のバランスを計ることによって、対応をとることができた。』という発言の根拠は何なんでしょうか?ネット上にソースなどありましたら紹介をお願いします。
『他の地方自治体は、東京ほど激しく財政が良くなっているところばかりですか?』に関して。
東京都の収入が景気に大きく依存するのは当たり前です。なぜなら、大企業の本社がほとんど東京に集中しているので他の自治体とは税収が桁違いだからです。だから石原さんが無駄遣いしても、景気が良くなって収入が大幅に増加すれば、ほっといても財政は黒字になります。
--Drawer 2007年2月5日 (月) 13:42 (UTC)
東京都のサイトの トップ>これまでの報道発表>2001年>計画・財政>計画・財政[報道発表資料/2001年掲載]における「第1章 機能するバランスシート(東京都の経営を改革する冷徹な用具)の作成」をご覧ください。
そこで、石原都政になってからの、財政再建に向けた初期の頃のおおよその取り組みが伺えると思います。
「財政再建プラン」に関しては、東京都のサイトの トップ>都政の運営>計画・財政・税 のページの「財政」の項の、「今後の財政運営の指針(平成18年7月) 」の下に、第一次と第二次のpdfがあります。
「もう、税金の無駄遣いは許さない! 都庁が始めた「会計革命」」という本が出版されているようです(これは私も未読ですので、詳しい中身は分かりませんが、それが一番分かりやすいのでは? と思う)。
なお、都では平成18年4月から新たに複式簿記を採用しているとのこと。
後段ですが、景気というのが単にサイクルだけで割り切れるものかというのは、そうは言えないと考えております。 経済が「ほっといても黒字になる」ということはないのではないか? たぶん、民間がそうであるように、行政機関も時代に適応していかねば、経済活動もうまくいかないのではないでしょうか。
大企業が集まっているからと言われますが、企業や人がそこで活動していける状況がなければなりませんし、整備していかなくてはならない。具体的にいえば、道路や地下鉄のインフラなどが象徴としてあげられます。渋滞時とそうでないときの経済効率を考えれば分かると思います。 石原批判派は、開発そのものを悪とか税金の無駄のようにとらえていますが、需要の大きい東京とそうでない街では、その見方は外れていると思います。
ps. 私がwikiに来るのはこれまでにします。著名の件では、お手数おかけしました。--もも太郎 2007年2月5日 (月) 17:03 (UTC)
- もう参加しないそうだから何かいても無駄だろうけど(それは上にもかいたけど)キミが謝辞をのべてる相手さま、キミが罵倒してた人なんだよ。気づいてないみたいだから、一応ご報告。
- それとキミ、上の方で「負債」の件だけを語っても、意味はないんです。「資産」と併せてみなければダメなんですよ。 たとえば、100万借金をしているけど、貯金が200万ある。その借金が「負債」、貯金を「資産」といいますってかいてるが、ブー★ おおまちがい。資産の分だけ貯金があると考えて借金を重ねてたら、とんじゃう。そうしてとぶ人とか企業はあるんだけど、とんだ見込み違い、ってとこ。キミも資産がわかってない一人だ。
- では、アデュー。--タノQ 2007年2月6日 (火) 09:03 (UTC)
公平さ・客観的視点を欠く現状について
[編集]ノートを拝見せず議論なしの大量消去、大変失礼しました。石原氏に好意をもっていない私から見ても、著しく公平さ・客観的視点を欠く現状を見かねてしまいました。せめて「批判」という項を作って、氏への批判はそこに集中して記述してみるのは如何でしょうか。また、政治家として(特に、都知事として)の氏に記述が偏りすぎているのも気にかかります。「人物評」の項も、都知事としての氏のことばかりが書いてあります。--60.43.119.32 2007年2月8日 (木) 09:59 (UTC)
追記 あまりにもひどいのでどこから手をつけて良いか、といった状況にあると思いますが、こうなってしまった原因には全体の構成にもあると考えます。 例えばこのような構成にしたらどうでしょうか。客観的記述に徹する部分と、都知事としての氏に皆さんが批判を思いっきり展開できる部分とに分離し、また氏の業績の全体的な説明を目指す点に主眼があります。 〜以下私案〜
1 概要(文壇デビューに始まり、国会議員となり、辞職し、知事になったという簡単な経歴、こういった政治スタンスである等)
2 都知事として 2-1 政策 2-2 評価(ここに批判を書く) 2-3 疑惑
3 国会議員として
4 作家として
5 エピソード
6 略歴
7 作品リスト
(以下省略)
ご参考までに。--60.43.119.32 2007年2月9日 (金) 14:50 (UTC)
それでいいんじゃないかと思います。評価の分離は必要ですね。--Drawer 2007年2月10日 (土) 14:55 (UTC)
その内容にて再編成することに賛成です。しかし、概ね批評の場ではありませんので2-2は必要無いのでは?編集者が項目ごとに不必要な賛成または批判の付記を行うからこの現状になってるのかと。--Confiteor 2007年2月15日 (木) 07:10 (UTC)
批判はいらない。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを見たらわかる様に批評や評論の場ではないからです。219.164.83.23 2007年2月19日 (月) 20:54 (UTC)
三島由紀夫との関係
[編集]「検証可能性」に至らない石原氏の心理内部に関する推定・自己研究についてはカットさせてもらいます。石原氏本人がそう認めた資料があるなら別。--shikine 2007年2月9日 (金) 13:42 (UTC)
59.146.200.84さんは『「統治権力による天皇利用」に反対なのは石原も同様だと思われる。したがって対比表現とはならず、削除が適当。』としていますが、これはどういった理由からでしょうか?石原氏は天皇の聖性をオリンピックの誘致に利用しようとするなど、天皇利用を積極的に行っています。また、三島由紀夫のロマン主義的な思考(天皇主義を掲げて自衛隊に決起を促し、その失敗により自害したこと)を「甘ちゃん」として週刊誌などであざ嗤っています。--Drawer 2007年2月27日 (火) 12:42 (UTC)
Drawer氏は以下のように記述されました。
『日本国における天皇の存在をとりたてて重視せず権力の方向へ向かった石原と、極度なまでに純粋な天皇主義へ傾斜し統治権力による天皇利用に反対した三島由紀夫とでは、…』
私が疑問視するのは上記の太字部分です。順を追って説明しますと、まず、「権力の方向へ向かった」と「統治権力による天皇利用に反対した」という部分は対比表現になっていないと思います。そもそも三島自身が「統治権力による天皇利用に反対」していたと断言できるほどの物証が乏しいということもさることながら(確かに、統治権力による天皇利用に反対する趣旨の三島の発言が残されているにせよ、いわゆる三島事件の経緯を総攬すると、三島の真意如何に関わらず、三島自身が天皇を政治的に利用しようとしていたとみられてもやむをえない面があると思います)、これを適正な対比表現として扱うとすれば、論理的にはおよそ「権力の方向へ向か」う者は全て天皇を利用する意図を有していなければならなくなってしまいます。
したがって、Drawer氏の上記記述(太字部分)は相当程度不鮮明な要素が多く、また論理的でないと考えましたので、
『日本国における天皇の存在をとりたてて重視することのない石原と、極度なまでに純粋な天皇主義へ傾斜していった三島由紀夫とでは、…』
として、太字部分を削除させていただいた次第です。
なお、私が『「統治権力による天皇利用」に反対なのは石原も同様だと思われる。』と記述した部分について補足すれば、ここにいう「統治権力による天皇利用」というのは、私の場合、いわゆる旧憲法下での天皇利用の意味しか包含しておりません。それゆえ、Drawer氏のご指摘にあるように「石原氏は天皇の聖性をオリンピックの誘致に利用しようとするなど、天皇利用を積極的に行っています」と評価することも実は可能である点は、私にとって若干の盲点であったことは認めざるをえません。しかしながら、この点に関する私見は、オリンピック誘致活動において皇族(正確には皇太子殿下ご夫妻だったと記憶しておりますが)の協力を仰ごうとしたのも、何も「統治権力による天皇利用」といった仰々しいものではなく、おそらくはオリンピックという国家プロジェクトにおいては国家元首たる天皇ないし皇族の協力は必要不可欠と考えたからだろうと思います。むろん、このような働きかけが「統治権力による天皇利用」の先鞭となる危険性は指摘しなければなりませんし、そもそも天皇を国家元首と位置づけるか否かも相当争いのある問題であることは当然に前提とされなければなりません。
したがって、あくまでも私見ではありますが、石原がオリンピック誘致活動に皇族の協力を仰ごうとしたことそれ自体はさほど大きな問題だったとは考えておりません。むしろ、この点に関してDrawer氏に対して指摘申し上げたいのは、Drawer氏のご指摘中「石原氏は天皇の聖性を…利用」とありますが、石原は昔から天皇に聖性があることなどこれっぽっちも認めていない、という点です。このような石原の考えは、三島と石原との極めて著名な対談「守るべきものの価値―われわれは何を選択するか」(初出「月刊ペン」1969(昭和44)年11月号。おそらく三島と石原との最後の公式対談)の中での石原発言に明瞭に表れています。
最後に、余談ですが、Drawer氏のいわゆる三島事件に関する理解(「天皇主義を掲げて自衛隊に決起を促し、その失敗により自害したこと」)の点について、ここでの「失敗」という言葉の意味をどのようにお考えであるのかにかかっていますが、やや不十分なような気が致します。この三島事件に関する理解如何によって、Drawer氏ご指摘の、三島事件に対する石原発言(「甘ちゃん」)の受け止め方が180°違ってくるように思います。--59.146.200.84 2007年2月28日 (水) 20:34 (UTC)
- 「石原は昔から天皇に聖性があることなどこれっぽっちも認めていない」に関して。石原自身は天皇信者でもなんでもない(むしろ天皇に懐疑的)ということには同意しますが、現実の民衆はみんな天皇が大好きなので石原慎太郎も天皇を使えばいろいろと民衆の支持を集めやすいだろうということはもちろん知っていて、一時期オリンピック誘致のマスコット役を依頼しようとしたわけです。一般的に、「天皇の聖性を利用する」と言った場合、戦後の平和の象徴としての(人間宣言を行った)天皇を政府(統治権力)が政府への求心力を維持する為に天皇を利用したということも含まれると思います。三島由紀夫は「人間宣言以降でなく人間宣言以前の天皇」「明治以降でなく明治以前の(国学的な)天皇」を信じていたがために統治権力による天皇利用に反対していたわけです。だから石原慎太郎と思想的に合意しなかった。そして政府に取り入った石原を軽蔑した。そして、自らは政府に対して叛乱を起こそうとした。
- 天皇主義者の右翼・鈴木邦男なんかも天皇と靖国神社(天皇利用)どちらを取るかと聞かれたら、間違いなく前者だと言ってるわけです。石原慎太郎は昭和天皇のA級戦犯メモに関しては尊重すると言ってますが、彼なら間違いなく前者ではなく後者でしょう。--Drawer 2007年3月4日 (日) 12:52 (UTC)
ご回答有難うございます。Drawer氏のご見解はいろいろと参考になります。
少し横道に逸れるようですけれども、上記Drawer氏のご見解に対して、以下に私の持論を書き留めておきたいと思います。
私としてももちろん天皇ないし皇族の政治的利用を危惧しないわけではありません。前にも触れましたとおり、石原による皇族に対するマスコット役就任への働きかけが「統治権力による天皇利用」の先鞭となる危険性はやはり指摘しなければならないだろうと思います。
ただ、Drawer氏は「現実の民衆はみんな天皇が大好きなので石原慎太郎も天皇を使えばいろいろと民衆の支持を集めやすいだろうということはもちろん知っていて、…」と断言されますが、私が思うに、石原はDrawer氏がご想像される以上にシニックな考えを持っていて、そもそも「現実の民衆はみんな天皇が大好き」ということにすら懐疑的なんじゃないでしょうか(対談「守るべきものの価値―われわれは何を選択するか」ご参照)。
「現実の民衆はみんな天皇が大好き」という事実認識が果たして正しいものか否かは私やDrawer氏を含めた個々の皆さんの心持ち如何にかかっているわけですが、それは一先ず措くとして、「現実の民衆はみんな天皇が大好き」ということにすら懐疑的な石原が、これを奇貨として天皇利用の意図をもって何か策動するとは私には到底思えません(この点に関する私の認識は、以前に触れたとおり、石原はオリンピックという国家プロジェクトでは国家元首たる天皇ないし皇族の協力は必要不可欠だと単に考えたにすぎない、というものです)。仮にDrawer氏の上記ご指摘が真実だとしても、そのような石原の考えや振舞い(策動)は果たして現実の民衆の支持を土台とするものか否かが別途検証されなければならなくなりますから(ここでは「現実の民衆はみんな天皇が大好き」という事実が実際に存在するのか否かを検証すること)、もはや単に石原一人の専横を非難するだけで済む問題ではなくなるはずです。したがって、ここで「統治権力による天皇利用」に関連して石原を論ずる際には、単なる事実の指摘に止めるべきであって、これら事実を基にして石原を殊更に非難することは結局は単なる問題の矮小化にしかならないと私は思います。
Drawer氏は「天皇の聖性を利用する」ことの定義づけを試みられているようですが、これに「戦後の平和の象徴としての天皇を政府(統治権力)がその求心力を維持する為に利用」することを含意させるにしても、その天皇の「聖性」を根拠付ける「現実の民衆はみんな天皇が大好き」という社会的事実が実際に存在しなければ、結局「統治権力による天皇利用」や「天皇の聖性を利用する」という言葉を用いる際に非難の意味を込めたとしても結局無意味となるように思います。
ちなみに三島は生前、国民的支持基盤を失った天皇制の危うさを現憲法の文言を引き合いにして指摘しておりました。もっとも三島の天皇論それ自体はどんなに周囲が議論を尽くしても現実政治とはフィットしえない論と私は考えますので(それゆえ私は、三島の天皇論を引き合いにしたDrawer氏の三島の対現実政治認識に関する分析部分〔=三島由紀夫は「人間宣言以降でなく人間宣言以前の天皇」「明治以降でなく明治以前の(国学的な)天皇」を信じていたがために統治権力による天皇利用に反対していた〕には若干の留保を設けたいと思います)、現実政治を殊更に志向した石原からすれば三島の思想・行動は単なる「甘ちゃん」ないし「愚挙」と言い放つことはあまりにも当然であって、私はこういう石原の言動を非難すべきだとは特段思いません。もちろん三島シンパからすれば許し難い言動ということになるのでしょうが・・・。
ただ、三島シンパ(正確には森田必勝シンパか)の鈴木邦男を私は良質の言論人だとは必ずしも捉えませんけれども、Drawer氏のご指摘にある「天皇と靖国神社(天皇利用)どちらを取るかと聞かれたら、間違いなく前者だと言ってる」というのも、定立された問題自体がやたらと抽象的なのもさることながら、その回答もいささか眉唾物だと私は思いますけどね。人間誰しも語ったこと全てが真意を表したものとは限りませんし。余談ですが。--59.146.200.84 2007年3月5日 (月) 13:52 (UTC)
石原を理解する上で三島由紀夫との関係を明らかにしておくことは個人的には非常に重要なことだと考えている者ですが、先日の大量編集により根こそき削除されてしまいました。極めて遺憾です。--59.146.200.84 2007年3月10日 (日) 17:57 (UTC)
- 履歴を見て、その記載を確認しましたが、残念ながらWikipedia:検証可能性を満たしていません。「石原を理解するには三島との関係が重要」とする文献・記事などあれば、それにそって書くことは出来るかと思います。関係があることが事実でも、その関係性において何を読み取り、分析するのかということは、とても主観的な内容になるかと思います。--Album 2007年3月10日 (土) 09:19 (UTC)
いわゆる「銀行税」について
[編集]現在の記述ですと、銀行税導入が都側に損失をもたらしたかのような記述になっていますが、これは正しいのでしょうか? 敗訴と和解によって税率はかなり低いものとなりましたが、課税自体は行われているので、還付加算金を含めても銀行税導入によって都側の収入はマイナスにはなっていないはず(平成12年度から15年度までの銀行税収入は3173億円、うち銀行へは還付加算金を含め2344億円を返還、結局829億円の収入。ソース:青山佾『石原都政副知事ノート』p.77)。銀行税導入と同時に行われた固定資産税等の減免などを考慮にいれれば銀行税収入の返還によって都の財政はかなり苦しくなったことは事実なのですが。銀行税そのものが都に損害を与えたような現行の表現は誤解を招くものであると考えます。また、銀行税による損失が存在するならば、なぜ課税によって損失が発生したのか、もっと私のような素人にも分かり易い説明が必要です。どなたか意見を下さると嬉しく思います。
あ、アカウントが変わってしまいましたが、上の「私案」を投稿した者です。--61.126.127.192 2007年2月13日 (火) 13:34 (UTC)
追記 ご意見が今のところないので修正させて頂きました。「誤解を招く表現」というか、現行のものはほとんど悪質な歪曲という印象を持ちました。これでは記事すべての信頼性にかかわります。(アカウントがコロコロ変わってすみません、ちゃんと名前?を持ちたいんですが自分のPCでないので)--60.46.20.68 2007年2月15日 (木) 09:47 (UTC)
石原氏による税理論を無視した違法な税率の導入による敗訴が「損失をもたらした」ことは事実でしょう。当時から東京都の外形標準課税は税理論を無視した不公平なものとして知識人から批判されていました。そして案の定、敗訴です。もちろん外形標準課税自体は違法ではありませんが、無茶苦茶な税率の銀行税を実施していなければ、破格の年率4.1〜4.5%という123億円の還付加算金は発生していませんでした。また、和解後に「0.9%に引き下げても829億円の収入があったのではないか」とされていますが、0.9%というのは過去10年間の銀行に対する納税額の平均なので東京都はこの税により得をしたとは全く言えないでしょう。--Drawer 2007年2月16日 (金) 05:01 (UTC)
では、基本的には現行の記述でおおむね良さそうですね。あと足すとしたら「税率の違法性」云々でしょうか。「税理論を無視」「無茶苦茶な税率」だと読者に良くわからないので、何故違法なのか、お詳しい方に裁判資料などにのっとって記述していただけると嬉しいです。どうも税率について「違法」という判断が示されたからといって石原氏への感情的な批判が記述の行間に入る傾向がありそうなので、厳密にいきましょう。あと、還付加算金について、銀行税導入と同時に行われた固定資産税減免の方も額が大きいんですが、還付加算金のみをやたらフィーチャーするのが私にはどうも解せないです。--61.126.127.157 2007年2月16日 (金) 14:29 (UTC)
現行でいいんじゃないの。いつも冒険家の石原について、よくもわるくもイチイチ精密にしなきゃならない大切な事項とも思えないッス。
民間の企業なら、こんな判り易い損失だした雇われ社長は即刻に総会で吊し上げられて斬首だけど。
興味や関心があるんならキミ、教えてクンばかりしてないで自身で調べなさいよ、って。
可変IP相手だと議論しづらいわ。
--タノQ 2007年2月16日 (金) 15:42 (UTC)
Drawerさん、「得をしたとは全く言えない」と「損失」は違います。単純に都の収入が123億円マイナスになったかのような記述を繰り返しされていますが、これは読者に誤解を与えかねない表現ですので相応しくありません。記述の正確性にもっと心を砕いて頂きたい。また、タノQさん、「よくもわるくもイチイチ精密にしなきゃならない大切な事項とも思えないッス」、こういった姿勢で執筆をされているのならばご自身のブログ等でして頂きたいと思います。このような「斟酌ぬき」の発言をされるようでは今までに貴方の書いた分の記述の中立性も疑ってしまう。--61.126.129.46 2007年2月28日 (水) 01:31 (UTC)
- お、これは一本獲られました(汗)。私は、何をいったりしでかすのか物議が多くて判らない混沌とした人物の精密な精度を追求するよりも、ウィキペディアンは他に記載する可き面白い項目があるだろう、てコメしたつもりだったんだけど、ここは都政の死命を左右する大切な話題だった。詫びて済むなら謝罪させていただく。
マイナスについては、余計なことしなけりゃ生まれなかった損失であり、斯を挽回しなきゃならないため都財政は負担をかこってるし、挽回しようにも税率が低いし、けっきょく日本最大の(つまり世界でも有数の)経済地だから税収でOKみたいな出鱈目してる印象をもつ現状分析です。
斯の人物には、あんまり法令を濫発してほしく、ない。
--タノQ 2007年2月28日 (水) 05:33 (UTC)
結局税収は全く増えなかったので123億円の損失が発生しただけという記述で合ってるのではないでしょうか?--Drawer 2007年3月2日 (金) 03:31 (UTC)
都の主税局のHPで銀行外形訴訟の和解についてというのがありました。当然ですが都寄りの記載となっております。そこで、ここへ外部リンクを貼り、かつ反対論(つまり実際の損害額の明示されている記述)へも外部リンクさせ、両論併記のようにしてみたら如何でしょうか。--Confiteor 2007年3月2日 (金) 04:31 (UTC)
想定していた税収を得られなかったのですから、それを「損失」と呼びうるかは別にして、その評価は当然分かれることでしょう。しかし追加加算金が123億円だったから外形標準導入によって都は123億円の損失を出した、というのはどういった論理なんでしょう。平成12年度から15年度までのスパンで考えるならば、「追加加算金の支払い含め829億円の収入(ソースは前出)」とその期間に外形標準課税を導入しなかった場合予期される銀行からの税収とを比較して得失額を導きだすべきでしょう。もうこれは論理学、文章理解の問題です。--60.46.21.71 2007年3月2日 (金) 09:03 (UTC)
- 民間だったなら、予算を見込んでた収入を減らした挙句は裁判沙汰になって更に予測外の失費した雇われ社長って、すぐ斬首でしょ。論理学や文章理解の問題をまたずして、現実社会と比較すれば如何かな。
--タノQ 2007年3月2日 (金) 18:55 (UTC)
- 銀行税導入の成果の記述内容に関する議論ですので、同様の経営判断をした雇われ社長が民間企業で首になるか否かはここの議論に関係ありません。あくまで事実関係としての成果に関して論ずるべきかと考えます。--Confiteor 2007年3月5日 (月) 00:44 (UTC)
- 江戸時代の武士だったら切腹もんだ、なんて書いたんなら確かに、ご指摘にあたってたかもね。
これは関係あるよ。いま石原に限らず現実に、よく比較されるでしょ…民間なら倒産だとかクビとか、役所はヌルい、って。現実論だよ、世の中もっとシビアだから。
--タノQ 2007年3月5日 (月) 09:57 (UTC)- ここの場合はDrawerさんや他IPユーザーの議論内容を読むと、銀行税に関する記載内容にをご議論のようです。また、石原は地方自治体の首長ですので、有権者による解職請求が可能です。現実にこれが成立していたならば、タノQさんの主張なさってる内容の記載も比較対照としてよろしいかとは思いますが、その件は別項目にて論ずるべきかと。--Confiteor 2007年3月6日 (火) 01:23 (UTC)
- だから比較しやすい現実論なんだよ。別項とかバラバラに截り放つ蓋然性がないし、却ってヤヤコシイ。
--タノQ 2007年3月6日 (火) 08:02 (UTC)
私の一連の事実関係の誤認の指摘に対する反論は今のところ無いようですので、「事業税」の項も若干の訂正をしておきました。--60.46.20.15 2007年3月12日 (月) 22:55 (UTC)
歯に衣着せぬ
[編集]「歯に衣着せぬ」は、いわゆる「奥歯にものの挟まった」の反対。つまり、まだるっこしい事いわずズバズバいう好印象な、持ち上げる表現だ。IPさんの仰る「相手の感情や思惑を気にせず思ったまま言う」だったら、それこそ「斟酌ぬき」が相応しいところ。斟酌の意味を御存知なく編集しないでね。
それと、単独で複数回に分けて加筆したり削除したりして、けっか大量編集をなすってるんだけど、あんまりよくないんじゃないの。
--タノQ 2007年2月15日 (木) 12:55 (UTC)
石原氏のものの言い方に関する装飾語に関して、ちょっとした編集合戦になってしまいました。私が投稿した「歯に衣着せぬ」という言葉は、確かに批判的な意味でこの言葉を使うことはあまりないと思われますが、数々の舌禍とともに石原氏の物言いが(一部でない人から)人気を集める理由も併せて表現するのに、これ以上に偏りの無い言葉が今までの更新の中にも無かったし、私の(数少ない)ボキャブラリーの中にも無かったんですよね。下のほうで舌禍をたくさん紹介しているわけですから、ここで「歯に衣着せぬ」の語を使用しても読者から「石原発言への単純な賛美」と捉えられることはまずないのではないでしょうか。さて、タノさんが代わって投稿された「斟酌ぬき」という表現ですが、今までの表現の中では偏ったへんな意味のない(もちろん「ウィキペディアが辞書である」という価値観に立っての判断ですが)という点でおおむね良い表現であるとは思います。ただちょっと難しい言葉ですね。使用頻度や範囲も限られます。まあここまで来ると文学的な問題ですが、タノさん含めどなたかご意見を下さると嬉しいです。大量編集云々はちょっと確かにあまり良くなかったですね。とにかく直すべきところが多いので。でもここ数日でおおむね良くなってきてる…はずだと思うんですけど。--60.45.144.190 2007年2月15日 (木) 13:04 (UTC)
私も最近は、かなり公平になってきてる(擁護者にとっても批判者にとっても)と思う。以前は見苦しい罵言とか、逆に手放しの賞賛とか、とにかく悩ましかった。いまもそれなりに悩ましいけど、そりゃ石原が問題児というかトラブルメーカーみたいな側面もってるから、致し方ないところだと考える…のが私の中立。
「斟酌ぬき」は状況説明しかしてない表現なんだけど、たしかに年寄クサイ、つーか硬いかもね。私は普段でもクチにするんだが。
--タノQ 2007年2月15日 (木) 14:58 (UTC)
「2度」あることは「3度」…?
[編集]2007年の東京都知事選挙に3選を目指して立候補する見通しである。 しかし、このところの相次ぐスキャンダルで情勢は日に日に劣勢になりつつあると見られる。 さらに、野党陣営が有力対抗馬を擁立すると「3選はピンチ」だといわれている。 加えて、「隠れた敵」なのが年齢である。2007年2月現在で74歳。本人は3期目に大変意欲的であるが、もう1期を全うすると3期12年を経過して78歳(知事初当選時66歳)と相当の高齢になる。また現職知事としては全国最年長者である。
カテゴリについて
[編集]Category:兵庫県出身の人物やCategory:兵庫県の政治家、Category:神戸市のカテゴリを貼っても削除する方がいますが、石原慎太郎氏は兵庫県神戸市出身なので、上に掲げた3つのカテゴリのいずれか1つは貼るべきだと思います。私個人としては兵庫県出身であっても現在は東京都知事であり、衆議院議員時代の選挙区も東京都なのでCategory:兵庫県出身の人物を貼るのが最善だと思いますが、それが不可能ならCategory:兵庫県の政治家かCategory:神戸市を貼るべきだと思います。もし3つとも貼るのに反対ならノートに理由を述べてください。220.96.190.226 2007年2月19日 (月) 11:51 (UTC)
「出身地」の定義については人それぞれです。生まれた場所、長く暮した場所、暮したことはないが先祖代々の土地(本籍地)、等を出身地とすることができる。例えば安倍晋三の場合東京に生まれ育っているが本籍は先祖の地である山口県にある。これらから東京出身でも山口出身でもよいことになる。細川護熙、菅直人、中川昭一、小沢一郎、亀井久興、平沼赳夫らも同様。石原さんの本籍がどこにあるか知らないが(おそらく現在は神奈川在籍)紳士録には神奈川出身とある
兵庫県出身を強調したいようだけど父・潔の仕事の都合で神戸にうまれて4年しか過ごしていないし親戚等はなくほとんど神戸での生活が記憶にないであろう。しかも両親は他県の出身者。あとは小樽、神奈川の逗子で育っている。逗子での暮しが一番長く現在も別荘地があり石原家の墓所も設けている。紳士禄を調べたら「神奈川県出身」という記載があった よって石原慎太郎自身は兵庫出身というよりむしろ神奈川出身という思いが強くそういう記載をしたとおもわれるので生まれた場所とはいえ兵庫出身と勝手に決め付けるのはいかがなものかと思う 2月20日
本文の概要に兵庫県神戸市須磨区生まれとの記載もあるので、Category:兵庫県出身の人物を張るのは差し支えないかと思います。--Confiteor 2007年2月22日 (木) 05:11 (UTC)
「神戸市」をはっているのでいらないとおもいます
都知事選が近いせいか…
[編集]石原氏の性格と政策を混同したかのような、従来の批判のそれこそ"無批判"な垂れ流し ー学問的でない、いわばブログの「まとめサイト」的なー に留まらず、最近は「いじめは基本的に加害者が悪いという事を完全無視した。いじめは被害者が一方的に悪いとでも言うのだろうか」なんて真顔で自分の意見を平気で書く人まで現れて、もうどうしようもないですね。中立的観点から問題がある事は言うに及ばず、近づく選挙に向けて、政治的にこのサイトが利用されることを切に危惧します。--60.46.21.71 2007年3月1日 (木) 11:24 (UTC)
- 「いじめは基本的に加害者が悪いという事を完全無視した。」についての記述ですが、消されてたからまた書いただけですよ。いじめはどんな理由であれ、被害者には何の落ち度もないに決まってるでしょうに。なのに彼はそれを完全に忘れて事実上被害者ばかり責めているわけです。こういう発言をする人たちが後を絶たないからいじめで子供を自殺に追い込まれたお母さんやお父さんは救われないわけですよ。--219.162.139.25 2007年3月1日 (木) 11:40 (UTC)
- 知事選が近いもなにも関係なく「いじめは基本的に加害者が悪い」のは、ただの中立的観点なんじゃないの。こーした世論について石原が疎いから「いじめは被害者が一方的に悪いとでも言うのだろうか」へ繋がるんでしょ。
ここは百科事典だから、選挙と関係ないよ。
--タノQ 2007年3月1日 (木) 12:16 (UTC)
- 「いじめは基本的に加害者が悪い」これは私ももちろんそう思いますし、正論です。正論であるならばこそ、ここで石原氏の発言を紹介するだけで十分ではないですか。石原氏の発言を紹介して、その判断は読者に委ねるべきです。
- 「ここは百科事典だから、選挙と関係ない」そうであったら良いな、と私も思います。しかしこのページの現状は…。政治的に偏りが無い状況だとは口が裂けても言えません。私も含め、書き込む人のモラル、バランス感覚が問われていると思います。なるべく価値中立的な、客観的記述によって構成できたらと思うんですが、なにやら個人的な怨念のこもった書き込みの多いこの状況ではなかなか。なにせ「石原氏は毀誉褒貶の激しい政治家である」ということすら適切に表現し得ないのですから…。--60.46.21.71 2007年3月1日 (木) 12:59 (UTC)
- じゃあ「いじめは基本的に加害者が悪いという常識を無視した」か「いじめは基本的に被害者の責任であるかのような事実誤認を含む発言をした」か、そんな程度の付記にしといたら? 最低限は必要な教養だし、誤解がないよね。
お節介なようだけど、知事選を慮って塩梅を匙加減した編集すると、それこそ公選法違反になっちゃうよ、マジ。有利か不利かに関らず、虚偽にあたらない事項とか状況説明だったら掲載OKでしょ。
--タノQ 2007年3月1日 (木) 18:21 (UTC)
- 障害者差別に関する浅野史郎の見解をなぜかここに載せる人がいますが、これは石原慎太郎の項目と関係ないでしょう。消去してよろしいでしょうか。また、人格あるのかね問題に関する石原の朝日新聞批判は発言を丸々載せているので冗長過ぎる様に感じます。要約が必要ではないでしょうか。--Drawer 2007年3月4日 (日) 12:27 (UTC)
- 浅野史郎氏の見解に関しては削除でよさそうですが、人格あるのかね発言に関する議論はここのノートの過去ログ2にありまして…、再度議題にしますか?--Confiteor 2007年3月5日 (月) 00:59 (UTC)
- 石原に関連した浅野発言であって事実である場合なら、載せとけばいいじゃん。朝日のは、丸々載せるまでもないでしょ。
--タノQ 2007年3月8日 (木) 09:42 (UTC)
中立性ある記事の執筆
[編集]今後執筆される方へ。Wikipediaは検証できる記述、執筆記事の参考になった出典が求められますので参考文献、出典先などを明記した上で記述をお願いします。検証性の低い記述、中立性に問題のある参考文献・出典のない誇張した一方的な批判記事の掲載、賞賛、賛美記事はWikipediaの方針により修正・除去されます。参考文献を記述した場合でも記載表現・記述に中立性のない書き方で掲載された場合、修正・除去されることになるでしょう。--Drive 2007年3月1日 (木) 20:20 (UTC)
- うーん、検証性のグッドな記述とか中立性に問題ナッシングな参考文献や出典、ていうのは一体ナンなのだろう。とにかく検証だ中立性だと、たやすくクチにする人が多いけど。
むしろ、とにかく気に喰わない箇処があれば検証性がない、中立じゃない、そんなレッテル貼りして拒絶する傾向を強く感じる。じっさい加筆作業するより簡単で手軽だろうし、しかも文献や出典だって読まずにケチつけることなんか誰でも可能だし。よそのサイトでも、よくやってる手法。
しょせん検証は読んだ者が行うべきで、中立は自身のハートに在るんではないのか。これマジでリアルの話し、百科事典の記述に執筆者や版元へガタガタ文句いう読者よりは自分で勉強して検証しようとする読者の方が多くって、価値あるでしょ。
--タノQ 2007年3月2日 (金) 18:26 (UTC)
この種の議論に当たっては、自論を展開する前にWikipedia:検証可能性を参照して下さい。--60.46.21.71 2007年3月3日 (土) 23:21 (UTC)
- そーゆーキミはWikipedia:ルールすべてを無視しなさいでも参照してちょうだい。私のは持論とか自論とかいうより、リアル社会に於ける分別の一つだろ。
--タノQ 2007年3月4日 (日) 02:55 (UTC)
不思議なことに社民党系の政治家の失言・行為などはほとんど消されている状態ですが、石原慎太郎とかそのあたりの政治家になると逆に「あら探し」が横行していますね。石原を極端に嫌っているのは社民党系や朝鮮系の人たちが中心にすぎず、都民の支持はひろく受けていますから現実を反映していないと思います。Wikipedia:存命人物の伝記に「少数派の意見が多数派のものであるかのように不釣合いな量の加筆はしないように注意してください。もしその批判がごく少数の人々の見解に過ぎないなら、項目内に書かないでください」とあります。--shikine 2007年3月4日 (日) 09:05 (UTC)
- 「社民党系や朝鮮系の人たちが中心にすぎず」って、ホントかね。それはともかく、他の参加者さん達のことまで私ァ知らないが、キミは記事を読んで何者の編集作業なのか、鑑定できるのかい。
ところで気になったんだけど、社民党系や朝鮮系の人らの見解や知識が反映されたらダメだと仰るのかな。社民党系だろーが朝鮮系だろーが、等しく参加すればいいじゃん。思想とか民族が違っても平等であるべきでしょ…そんなこといってちゃキミ、もうルール云々レベルよりマジで法律に違反しまっせ。
もちろん石原であれ社民党であれ、なんぴとたれ失言&失態の類も事実に限り明記しとくべきで、そーでなければ不公平だ、とは思うけど。
--タノQ 2007年3月4日 (日) 09:55 (UTC)- 確かに「少数派の意見」は尊重すべきですが、「多数派とみせかけてはいけない」というウィキペディアの方針がある以上、どこの誰が石原を批判・攻撃しているのかという主語の明記ぐらいは必要でしょう。--shikine 2007年3月4日 (日) 10:09 (UTC)
- あーうー(@_@;)いったい誰が「多数派とみせかけ」工作とか偽装、たばかり系をやってると仰るのかな。ていうか現に批判的な加筆が多いから(罵倒の類は掃除されてるし)みせかけも何も、誰がかこうが、実際それ多数意見じゃん、現状的に。
もし仮に、何々党や何々民族が行う編集については明確な区別が必要だなんて仰るなら、大変な問題だよ。誤解されたらヤバイから、気をつけていただきたい。
ウィキペディアの方針って、そーゆーアレじゃなくてトンデモ学説とか擬似科学の理論を本格主流みたく示したらダメですよ、って、そーゆーことなんでしょ。
--タノQ 2007年3月4日 (日) 12:20 (UTC)
- 「石原を極端に嫌っているのは社民党系や朝鮮系の人たちが中心にすぎず、都民の支持はひろく受けています」という主観をここで振り回されても。フジテレビの報道2001によれば、浅野が出馬表明していない現段階で石原に投票したいのが35%で浅野が27%で残りは未定。まあそんな支持率もウィキペディアを編集する上では全く関係ないでしょう。「石原の支持率が8割なら、石原に肯定的な事実だけを残し、否定的なものは消し去るべきだ」というのはトンデモナイ主張でしょう。例えば、三宅島オートバイレース構想が専門家を含むあらゆる人々から批判されているのは紛れもない事実です。そして公平な(もしくは石原寄りの)都の調査でも否定的な結果が出ています。--Drawer 2007年3月4日 (日) 12:24 (UTC)
- そのオートバイレース云々に関しても出典について不備がありますが、この記事にはそんなネタばっかり。Webで検索して探すことすらしてない。--shikine 2007年3月4日 (日) 13:20 (UTC)
- 基本的にウィキペディアの方針では望ましくなくても、否定的な内容は出典(どこに書いてあるか)と主語(どこの誰が言ったのか)をはっきりさせれば現状のところでは掲載可能だろうから、決して「反対意見の封殺」ということでもなかろうかと思われる。--shikine 2007年3月4日 (日) 13:31 (UTC)
- いちいち出典掲載していたら記事が見苦しくなるだけでしょう。全ての記述に関して出典を記載している項目なんてありますか?出典:都の報告書でプロレーサーが否定的な見解[[3]]、航空路再開していない[[4]]--Drawer 2007年3月5日 (月) 05:50 (UTC)
- 見逃しがあり、失礼しました。とりあえず主語(報道機関、追及している政党)がはっきりすれば大丈夫かと思います。--shikine 2007年3月5日 (月) 14:46 (UTC)
- ん? その「否定的な内容は出典と主語をはっきりさせれば」てのが、また気になる。否定的な編集作業だけ然様な責務を負うけど、肯定的な編集作業については構いなし、かね。そんもん、中立でもなんでもナッシングで、びっくりだ。
それとキミの取材ってのは、もしかしてWeb検索に尽きてるのかな。あーのー、Webの情報なんか結構すき勝手なことかいてるから、ちゃんと調べ直さなきゃいかんよ。ご用心、ってこと。
--タノQ 2007年3月4日 (日) 15:31 (UTC)- 「構い無し」とまでは書いてないし、「Web検索だけでよい」とも一切書いてない。東京都の情報であれば都のサイトに資料があるかもしれないし、それがなくてもニュースサイト等に記事があるかもしれない、というだけの話。--shikine 2007年3月4日 (日) 16:57 (UTC)
- 私の誤解だったとしたら謝罪させていただこう。でもさ、どう拝読したって誤解を招きやすいような危うい記述の連続なら、きっぱり明快にかけるよう向後は努めてほしいんだな。頼みます。
--タノQ 2007年3月4日 (日) 17:33 (UTC)
- ん? その「否定的な内容は出典と主語をはっきりさせれば」てのが、また気になる。否定的な編集作業だけ然様な責務を負うけど、肯定的な編集作業については構いなし、かね。そんもん、中立でもなんでもナッシングで、びっくりだ。
Drawerさん、「霊友会は1995年にフランス政府によりカルト宗教と指定されており、そのためか石原はしばしばフランス文化を揶揄・批判している。」 この文章の何処が「独自調査」に当たるか、お分かりになりますか?貴方の執筆姿勢について、改めて自省を強く求めます。--60.46.21.71 2007年3月4日 (日) 15:14 (UTC)
はいはい、修正しておきます。--Drawer 2007年3月4日 (日) 15:17 (UTC)
- そのためか、は削除して、霊友会と関りをもつ石原は、と修正すればOKなんじゃないの。
うーん、こんな、一体どっちが「あら探し」の横行なんだろねえ。
--タノQ 2007年3月4日 (日) 15:31 (UTC)
- 確かにそれでOKな気もしますね。--Drawer 2007年3月4日 (日) 15:34 (UTC)
- 了解つかまつり。--タノQ 2007年3月4日 (日) 16:39 (UTC)
会話と修正を拝見して驚きました。「霊友会は1995年にフランス政府によりカルト宗教と指定されたこと」や「石原氏と霊友会につながりがある」ことと、「石原はしばしばフランス文化を揶揄・批判している」ことに因果関係があるという「新説」を出典も無く(おそらく執筆者の推測で)書いていることが明白に独自調査なんですよ。現在のものは修正に全然なっていません。むしろ逆です。わたしは言葉尻を捉えているわけではありません。--60.46.21.71 2007年3月4日 (日) 22:46 (UTC)
- フランス政府のリストに掲載されたのは事実のようですが、宗教団体を指す用語として「セクト」という用語を用いています。「セクト」という概念は日本の「カルト宗教」と似てはいるがかなり異なる背景があり、政治的ニュアンスやカトリック的意図をおおいに含むものです。すでに優れた記事がwikipediaにありましたので、その点だけ書き換えておきました。--shikine 2007年3月5日 (月) 02:33 (UTC)
- 今の文章は因果関係には触れていないのでOKな気もしますが、気になるなら「因果関係は定かではないが石原はフランスを頻繁に批判する」という記述でどうでしょうか?--Drawer 2007年3月5日 (月) 02:54 (UTC)
- 「因果関係が証明できていない」という前提で考えますが
- フランスにてカルトとして認定されている。との内容がすでに霊友会の項目に存在する。
- その上の外国人についての部分でフランス人(フランス)に対する揶揄・批判についても触れられており、内容が重複している。
- 以上から、それぞれ既存の記載でもありますし、前提条件からするとこの部分にその一行を入れる必然性がまったく無いと考えます。ということでコメントアウトして置きますね。因果関係を示唆する出典(たとえば石原の著作物であるとか記者会見の記録等)が存在した場合復活してみたらどうでしょう。--Confiteor 2007年3月5日 (月) 08:59 (UTC)
- ぜんぜん因果関係かいてなくて事実をならべてるだけなのに、驚いたとか新説だとか明白だとか証明できん、と来た。こっちこそ明白に新鮮で正真証明の驚き、ですわ。クレーム対応でキリのない作業やってたら却って冗長になったり活きの下がる文になったりしないのか。
--タノQ 2007年3月5日 (月) 09:57 (UTC)- 前述のとおり全く同じ内容の記載がすでにあります。という事ですね。また、因果関係が判明した場合に記載を戻しやすいように、削除せずにコメントアウトにする配慮はしたつもりです。--Confiteor 2007年3月6日 (火) 01:23 (UTC)
- だから因果関係について言及してなかったってば。斯件に関してスルーかね。
--タノQ 2007年3月6日 (火) 08:02 (UTC)- 因果関係について言及していないのであれば、前述のとおり重複した内容となります。因果関係が判明した場合には、当然に関連する内容ですから記載が必要になるでしょうね。--Confiteor 2007年3月7日 (水) 11:07 (UTC)
- 因果関係あるのかないのか、むしろ↑キミが気にしすぎなんじゃないの。
あるのかないのか、それを判断するのは閲覧者の自由でしょ。そんな対応してたらキリがないって。
--タノQ 2007年3月8日 (木) 09:42 (UTC)
- ぜんぜん因果関係かいてなくて事実をならべてるだけなのに、驚いたとか新説だとか明白だとか証明できん、と来た。こっちこそ明白に新鮮で正真証明の驚き、ですわ。クレーム対応でキリのない作業やってたら却って冗長になったり活きの下がる文になったりしないのか。
政治的な利用の排除
[編集]特定の執筆者の方(利用者:Drawerさん)が石原慎太郎の項目では出典元の記事そのままの論調で表現の内容に中立性の配慮に欠いた批判記事を大量に投稿、現在も熱心に石原都政批判記事を追加執筆されています。
浅野史郎の項目では前宮城県知事期間中の行政手腕の実績・賞賛記事を加筆が同一人物により行なわれ、Web検索ページでも上位にヒットするWikipediaを利用した事前の宣伝工作活動的にも疑われても仕方の無い状況です。今後このようなことがない様にコミュニティー参加者の皆さんで、このページを注視して頂き随時中立性に問題ある、誇張された批判・賞賛記述が投稿された場合は修正・除去の協力をお願いします。--Drive 2007年3月1日 (木) 20:20 (UTC)
実績の加筆と賞賛は全然違うことでしょう。私は客観的視点に基づく市民オンブズマンによる評価をそれぞれの項目に書き加えましたが、それらが偏向しているとでも言うのでしょうか?"賞賛"と言われる様な主観的な言葉は使っておりません。また、三宅島オートバイレースなどはほとんどのバイク専門家から危険過ぎるといわれ、肯定する意見はほとんどなく、都知事の批判に全く耳を貸さずそれでも独善的にプロジェクトを進めるという姿勢には批判しかない状況なのにあなたは誇張されていると言うつもりなのでしょうか?
例えば、極端な例ですがナチの戦争犯罪を5つ書く際には、ナチがやった良いことも無理矢理5つ書くべきであり、ナチの虐殺にも批判とメリットを書くのが中立性だと?それは客観的でもなんでもないでしょう。--Drawer 2007年3月2日 (金) 04:37 (UTC)
- ナチスの犯罪は歴史的に評価が大体定まっているもので、全く比較の対象にはなりません。問題なのは、石原氏への強い嫌悪を隠さないある人物が、選挙の近づくこのタイミングに、週刊誌やネット記事等から石原氏への批判や疑惑(多くは現在進行形のもの)をかき集めて精力的に陳列している、という点です。そこには、政治的意図があると思われても仕方ありません。そのような場としてウィキペディアが利用されうるならば、この記事のみならずウィキペディアそのものの危機なのだということを自覚してください。--60.46.21.71 2007年3月2日 (金) 08:35 (UTC)
- "嫌悪"とは具体的にどこの部分ですか?あなたは人の文章を勝手に感情的なものだとレッテル貼りをするだけですね。
- 三宅島オートバイレースの記述が気にくわないなら、三宅島オートバイレースを安全だと評価する専門家の意見でも探してきて、並列させればよいでしょう。ただ自分はそんな評価はいくら探しても見つけられなかっただけです。--Drawer 2007年3月2日 (金) 09:25 (UTC)
貴方の記述を感情的なものだとは言っていません。「嫌悪」という言葉を石原氏の人物か、都知事としての政策かへの「反感」、と言い換えても私の言いたいことは同じです。貴方の記述(あるいは、大量編集という行動)に、それが明白に表出されていると感じているのです。
また、例えば三宅島に関するトピックのような現在進行の事象は、ウィキペディアに掲載するに相応しい、評価の定まっている事項とは思えません。特に選挙前のこの時期、評価の定まっていない事項の掲載に関しては特別センシティブになるべきです。言うまでもありませんが、ウィキペディアは政治的主張の場でも、ジャーナリズムの場でもありません。これは特定のユーザーに限った話ではありませんが、中立性を欠いた書き込みが行われ、また行われつつあるこのような状況が改善されないようなら、選挙期間中のこの記事の削除もやむを得ない、とまで思います。もっとも、私は事情あってIPユーザーなので保護中の今は書き込みすら出来ないんですが。--60.46.21.71 2007年3月2日 (金) 10:08 (UTC)
- Drawerさまの加筆箇処って、浅野史郎にしろ本項の石原にせよ、いずれ格別とくに絶賛も嫌悪も感じませんが。石原に不利な記入が多いとしても、事実なら致し方ない。
浅野史郎に不利なことがあったとして、事実なら記入すればいいんじゃないの。百科事典だからね。それが中立ってもんだ。
--タノQ 2007年3月2日 (金) 18:26 (UTC)
石原氏の人格についての批判を数限りなく列挙する、諸政策のメリット・デメリットを論じずこれまた批判だけをピックアップして紹介する。一方で石原氏の発言について「歯に衣着せぬ」という表現さえ許されないのですから、いくら書き込む当人が「中立」を標榜したって空虚な響きしかありません。事実を書けば中立、ではありません。それは詭弁です。文章を構成する全体的な論調をもって中立であるか否かは判断されるべきです。--60.46.21.71 2007年3月2日 (金) 23:28 (UTC)
- 詭弁とか、いわれてもねえ。お言葉を返しちゃうけど、みたまんま事実が中立。それ以外に中立なんか、あるの? 脚色のない加筆作業してれば済む話し。
逆のことをいわせてもらえば、不都合な記載を排除した石原の姿、ってのは到底まったく中立じゃあないよ。それこそ、ね。
「文章を構成する全体的な論調をもって」と仰るが、そもそも私やDrawerさまだけじゃなく無数の人が参加してるんだな。その事実を以って判断すれば、よろしかろうに。--タノQ 2007年3月3日 (土) 03:38 (UTC)
議論のもととなるような事実を書き込むことはむしろ歓迎されるでしょう。それと、議論のもととなるような事実に関して一面からの批判だけを、批判の主体・出典を曖昧にしたまま記述することは違います。また、「事実」の取捨選択にも個人の価値観が反映される以上、事実を書いたから絶対に中立、とは言えないのです。そういった意味では真に中立的な記述などあり得ないのですが、少なくとも執筆者は事実の取捨選択に自分の価値観が少なからず反映されるのだ、ということを自覚して執筆しなければなりません。「みたまんま事実が中立」という、自覚を欠いた執筆姿勢は論外です。これは全ての学問の基本のキでしょう。--60.46.21.71 2007年3月3日 (土) 23:50 (UTC)
- なかなか核心を衝いてくるじゃん。大したものだ。私がいってるのは、なにか取捨選択をして(明らかな虚偽なら捨てる可きとしても意図的な選択をして)みたまんま事実に対し自己の欲求とか願望やら悩ましい作為が反映されちゃったら、自身にウソついちゃったら、みたまんま事実でもなんでもないよ、て事で。
ちなみに私は別としてDrawerさまに限っては、石原に対し予断で批評かいてる加筆箇処をマメまめしく修繕してらっしゃるよ。履歴みて下さい。じつは私の加筆だって彼に削られた憶えあるんだな。これは私の、みたまんま事実。--タノQ 2007年3月4日 (日) 02:45 (UTC)
浅野さんもマラソン好きですから、個人的に選挙はどちらが勝ってもいいけど、Wikipedia:検証可能性に基づき、出典の明記が無い記述は、近日中に除去しますよ。本気で。だから今のうちにWikipedia:検証可能性をよく読んで、出典をつけておいてください。消されたくない方は。Album 2007年3月6日 (火) 10:50 (UTC)
- あちゃー↑議論も何も、問答無用かいな。とんだ横紙破りだ。参ったね、これ。--タノQ 2007年3月6日 (火) 14:26 (UTC)
- 議論云々以前に、そのように第三者から言われているのか、それとも支持者による主観、及び“独自の研究”なのかが問われているんですが。--121.1.237.191 2007年3月7日 (水) 01:28 (UTC)
公式な方針「Wikipedia:検証可能性」の要旨は、下記のとおりです。参考にして下さい。--Album 2007年3月7日 (水) 01:36 (UTC)
- 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
- 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
- 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。
- 知ってるよ( ̄▽ ̄)v ある程度は↑参考にしてるけど、世間一般に望ましいとされるモラルとか社会常識を、まず私は優先してるんだな。この項目には「ただし、専らウィキペディアのローカルルールを口実として、みだりに干渉あるいは専横な編集作業を行うなど排他的で不健全な編集方針を励行したり容認するために在るものではなく、世間一般の社会常識が最優先されるべきである次第については云うまでもない」てな一項が在るべきなんだろーけど、ふつう暗黙の了解なんでしょ。常識だもん。
やれやれ、まったく…なんだか方針ホーシンがお好みの編集スタイルみたいな様相を呈してるキミ、ルールに依存するより自身の言葉で語ってほしいもんだ。
--タノQ 2007年3月8日 (木) 09:42 (UTC)
- モラルや社会常識は、人によってブレがあるので、公式な方針があるんです。「紳士たれ!」は巨人軍ですが、それだけでは管理できないよね?--Album 2007年3月11日 (日) 07:39 (UTC)
- ブレない範疇のモラル、社会常識でモノいってる私。「紳士たれ!」は巨人軍というローカル社会だから世間一般と対価でない。気をつけていただきたい。
--タノQ 2007年3月11日 (日) 10:13 (UTC)