ノート:刈谷城
梅花無尽蔵
[編集]≪書目データ≫ 【書目ID】 00011093 【史料種別】 原本・古写本類(0架) 【請求記号】 0134-3 【書名】 梅花無尽蔵 【著者名】 集九[万里] 【出版事項】 写本 n.d.[江戸中期] 【形態】 8冊(帙入) 28cm(和) 【注記】 印記:平戸藩蔵書,子孫永宝,楽歳堂図書記
【史料種別】 原本・古写本類(0架) 【請求記号】 0134-3 【書名】 梅花無尽蔵
【解 題】 禅僧万里集九(1428-1502以降、1470年頃還俗)の詩文集。晩年、自ら作品を整理分類し、部類毎にほぼ作成年代順に配列し、自注を付して成立した。文明元年(1469)頃、京都の戦禍を避けて美濃に下り、のち美濃鵜沼に庵室「梅花無尽蔵」を構えて本拠とした。同17年、太田資長(道灌)に招かれて江戸に下向し、道灌の死を経て、長享2年(1488)に江戸を出発、上野・越後・飛騨と、山内上杉氏の勢力下を経て翌年美濃に戻っている。この間の詩文等は、歴史史料としても著名である。
本所所蔵本は、平戸藩主松平家旧蔵本で、1963年書店から購入した。玉村竹二氏は、『五山文学新集』第6巻に収録する際、底本としている。善本である『続群書類従』本に欠ける巻七後半を完備する点で、国会図書館本とともに貴重な伝本であり、書写年代は国会本より古いという(詳細は『五山文学新集』の解説参照)。
※江戸中期の写本というのが気になる。江戸時代に編纂された可能性が残る。
刈谷~矢作を、三里または三里余という記述も気になる。一里塚は江戸時代以降の整備。--180.197.168.92 2013年6月5日 (水) 04:40 (UTC)
元刈谷城の記述について
[編集]2008年1月6日 (日) 08:09時点における版で除去されたままになっているようですが、無期限ブロック対象となった人物による編集の可能性が高そうに思えるので、復活させてかまわないでしょうか。--Kangoshiyouichi 2009年1月10日 (土) 00:52 (UTC)
復帰させておきました。--Kangoshiyouichi 2009年2月15日 (日) 03:16 (UTC)