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ノート:オリバー・M・ボルツァー

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Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと

7.意味のある記述を除去してしまうこと

ある記述が偏っているとか、あまり校閲されていないなどという理由で記述をまるごと除去してしまうのは、あまり勧められない行為です。偏っているなら偏りを取り除けばいいし、校閲されていないと言うなら校閲すればいいのです。もし、全部ではなく、ごく一部を除去する場合であっても、できるだけ「編集内容の要約欄」かノートページにその理由を書いてください。よかれと思って投稿した人にとっては、消された理由がわからないと不満を抱くもととなり、余計な口論や編集合戦などのトラブルを招くきっかけになってしまうこともあります。Wikipedia:編集方針も参照して下さい。 --Musashi-GUN 2012年1月15日 (日) 18:16 (UTC)[返信]

存命人物の伝記については、偏っている記述については削除が優先されるとの理解ですが、拘りがある様ですので、当該文章から執筆者の独自の評価に基づく否定調/断定調な文言を、より偏りのない中立的な客観的事実を表す表現に変更する事を心がけました。部分的にでも元に戻される場合は評価的でない文言とする様、ご留意ください。(出来れば、事前にこちらで議論を)「論争」パートの必要性自身については疑義を感じておりますが、それはまた別の議論として、まずは偏った表現による被害の防止を優先したいと思います。

--118.22.216.121 2012年1月29日 (日) 12:50 (UTC)[返信]

匿名ユーザ 118.22.216.121 による「中立的な客観的事実を表す表現に変更する事」は理解できるが、(二度にわたり)一方的に全削除したり、情報源のページを見れば明らかなところまで削除する行為は認められないし、上記の「意味のある記述を除去してしまうこと」に抵触する「ウィキペディアでのルール違反」であると主張する。例えば “プライバシが筒抜けWindowsアクティベーションが解析される”の元記事とコメントを見れば、「プライバシーが筒抜け」という(扇動的な)タイトルが元の論文の内容から完全に間違っているということが明らかになっていて(かつそれに対して訂正も出していない)それを「偏向的」と表現するのは十分「客観的」であると私は判断する。何でもかんでも「独自の評価」と決めつける姿勢こそ削除という否定的な形での「独自の評価」じゃないのかと言いたい。自分がこう思うというような判断による編集ではなく、ちゃんと「情報源の内容を踏まえて」それを適切に表現するということが第一でありそうすることを強く要求する。

ついでに付け加えれば、上のタグには「論争の元となり得る記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません」と書いてあり「偏っている記述については削除が優先される」というのは存命人物の伝記を読んでも特に見あたらなかったがそれこそ「勝手な理解」ではないのか?再度編集する前に匿名ユーザ 118.22.216.121 には是非とも「偏っている記述については削除が優先される」とやらの「根拠・証拠」を出してもらいたい。「根拠・証拠」もなしにまた一方的なゴリ押しで削除するならこっちは「荒らしユーザ」として報告させてもらうと言っておく。

--ごっつあんマン 2012年2月26日 (日) 04:10 (UTC)[返信]

118.22.216.121 は「編集する前に議論を」とか相手に対して求めているが、そんなセリフは「自分が議論を提起してそれから編集する姿勢・態度の者」にこそ相応しいんじゃないのか。相手に対しては「編集する前に議論を」とか言っておきながら自分はすぐさま編集してさも「ルール守ってます」顔するような者の提案に応じる気なんか誰もしないだろう。そうして欲しいんならまず自分が「自分で言い出した」提案を守れと言いたいですわ。 --221.246.33.210 2012年8月26日 (日) 06:04 (UTC)[返信]