ノート:アジア

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アジアの記事統合案[編集]

むしろ「アジア」に書かれているほうが詳しくて東アジア、中央アジア、北アジア、東南アジア、南アジア、西アジア、アジア大陸の記事の存在意義がない。--Pikapika 2008年7月5日 (土) 16:19 (UTC)[返信]

  • (「アジア大陸」以外は反対)東アジア、中央アジア、北アジア、東南アジア、南アジア、西アジアの統合には反対する。記事「アジア」に内包される形で東アジア、中央アジア、北アジア、東南アジア、南アジア、西アジア記述し、さらにその中で個々の記事を統合すると非常に可読性が悪くなるため。また現行の記述を削除する方向して統合することには反対をする。「アジア大陸」については特にコメントはしません。--経済準学士 2008年7月5日 (土) 16:33 (UTC)[返信]

ヨーロッパ統合と同様の理由です。--Pikapika 2008年7月5日 (土) 16:47 (UTC)[返信]

  • (反対)地理的・歴史的・文化的・経済的にみてそれぞれまとまった圏域をなしており、個々の記事はあって当然、というよりなければおかしいと考えます。現時点でも東アジア東南アジアの記事はアジアの記事よりも詳細に記載されており、提案者様が「むしろ「アジア」に書かれているほうが詳しく」とおっしゃる意味が理解できません。他の項目については、統合するよりむしろ加筆依頼に提出するべきだと考えます。アジア大陸については、むしろ英語版からの翻訳途中になっているアジアの地理と統合するべきかと考えます。--春秋君 2008年7月5日 (土) 17:21 (UTC)[返信]

ヨーロッパ統合と同じようにアジア大陸以外撤回します。アジアの地理は統合案に加えておきます。--Pikapika 2008年7月6日 (日) 12:30 (UTC)[返信]

(コメント)発言趣旨を汲み取っていただき、ありがとうございます。さて提案者様はアジアの地理アジアの統合を考えていらっしゃるようですが、記事の項目名および内容を見たところ、アジアの地理とアジア大陸の統合がいいのではないかと考えます。理由としては、1.アジア大陸の記事には自然地理の内容だけが記載されていること、2.他言語版にはアジア大陸という項目はなく、アジアの地理があること(日本語版のアジアの地理は英語版からの翻訳中途となっています)です。アジアの内容から地理的内容のみを分けて項目とした、ということになればすっきりするのではないでしょうか。ちなみにアジア大陸のノートには別の方がやはりアジアへの統合を提案なさっておりますが、2年以上前の提案であること、その後アジアの地理が立項されたことにかんがみるならば、やはりアジア大陸はアジアの地理への統合でこの提案者様の意思にも沿っているのではないかと推測します。ただし記事名をどうするかですが、Template:世界の地理によれば日本語版にはすべての大陸の記事が作られていますし、アジア大陸のほうを残したほうがいいのかもしれません。いずれにしても、この統合案についてはより広く地理関係の記事を作ってこられた執筆者の方々のご意見を求めるため、Portal:地理Portal:地理学Wikipedia:ウィキプロジェクト 地形など(プロジェクトについてはもっとあるかもしれません)に呼びかけたほうが後々のことを考えると無難かと思います。なんだか話を広げてしまってすみませんが、重要項目なので慎重に進めたほうがよろしいかと思われます。--春秋君 2008年7月8日 (火) 02:15 (UTC)[返信]

アジアの語源について[編集]

アジアとはもともとローマ帝国の州の名であり、以後、ローマ帝国より東はみなアジアと呼ばれるようになりました。ヨーロッパ、アフリカもローマ帝国の州の名であり、ローマ帝国より北はヨーロッパと、ローマ帝国より南はアフリカと呼ばれました。早急に書き替えをお願いいたします。--以上の署名のないコメントは、犬塚拓馬会話投稿記録)さんが 2009年9月4日 (金) 20:10‎ (UTC) に投稿したものです(和流千景会話)による付記)。

ソースが明らかではないようなので「要検証」を外します。--うぃき野郎会話2018年11月28日 (水) 15:39 (UTC)[返信]
語源の節の記述は出典付きではあるが、内容に矛盾が見られる。原典が間違えているのか、加筆者が斜め読みして間違えたのか? 地理的矛盾:「古代メソポタミアのアッカド語で日の昇る方向を意味するASUが語源と考えられている。そのメソポタミアのアッシリア人が、遥か西方であるバルカン半島から見た東の海(エーゲ海)の向こう(アナトリア半島)を東方Asuと呼んだことが起源」とある。バルカン半島もエーゲ海もアナトリア半島も、メソポタミアからみればすべて西である。それに何故メソポタミアの人間がバルカン半島からの視点で物事を見るのか、仮に、メソポタミアからバルカン半島へ移住したアッシリア人がエーゲ海の向こうをAsuと呼んだと。(まさかとは思うがこのような経緯が判明してるとは思われない。)いずれにせよ経緯を端折り過ぎている。古代メソポタミア文明の語が、西へ徐々に伝搬していった。まず地中海東方のフェニキア人へ、続いて古代ギリシャ、古代ローマへとAsu(東の方向)の概念が伝わり、そこから古代ギリシャから東のアナトリア半島がAsiaと呼ばれるようになったものと推測される。現在の記述はいくら出典付きといっても明らかな間違いと思われるので、要出典「要検証」は復活させる。--和流千景会話2018年11月29日 (木) 05:28 (UTC)[返信]
最初の署名なしコメントに付記。自身のコメントの要出典の訂正。--和流千景会話2018年11月30日 (金) 02:52 (UTC)[返信]

英語版によると、アッシリア語に関する主張は、T.R. Reidという東京特派員のジャーナリストの方が著述した説で、岡倉天心小倉和夫氏が主張していたようです。見る限り、言語学の専門家による説のようではなさそうです。--Extrahitz会話2019年4月24日 (水) 11:23 (UTC)[返信]