ナープルステク博物館
ナープルステク博物館 | |
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ベツレヘム通のウ・ハラーンクー | |
施設情報 | |
正式名称 | Náprstkovo muzeum asijských, afrických a amerických kultur |
前身 | ボヘミア工業博物館(Bohemian Industrial Museum) |
開館 | 1874 |
所在地 | プラハ |
位置 | 北緯50度5分2.58秒 東経14度24分59.20秒 / 北緯50.0840500度 東経14.4164444度座標: 北緯50度5分2.58秒 東経14度24分59.20秒 / 北緯50.0840500度 東経14.4164444度 |
外部リンク | http://www.nm.cz |
プロジェクト:GLAM |
ナープルステク博物館(Náprstkovo muzeum asijských, afrických a amerických kultur)は、 チェコ共和国 プラハ にある博物館である。英語表記では Náprstek Museum of Asian, African and American Cultures。プラハの国立博物館の常設館の一つで、アジア 、 アフリカ 、およびネイティブ・アメリカンの美術・工芸・民俗資料を所蔵する。 博物館の建物はプラハ旧市街(Staré Město)にある酒の醸造施設ウ・ハラーンクー(U Halanku)である[1]。
歴史
[編集]この博物館は、1874年に私立の産業博物館、ボヘミア工業博物館(Bohemian Industrial Museum)として、チェコのヴォイタ・ナープルステク(Vojta Naprstek、1826 – 1894)[2][注釈 1]によって彼の親の家の醸造所だった建物で設立された。
19世紀には、この博物館はチェコの知識人の文化的、教育的中心地の一つとなった。 そのコレクションの多くは、ナープルステクと彼の友人たちによるもので、彼らはチェコの駐在員、旅行者、そして民俗誌学者であった。設立当時は産業博物館だったが、民俗資料が次第に増えていった[3]
1932年、博物館は国立化され、運営が国立博物館に引き継がれた[4]。所蔵物のうち、ヨーロッパの品は国立博物館の民族学部へ移管され、当博物館はヨーロッパ以外の地域の美術と民俗資料と考古学資料と古銭を専門とするようになった[3]
博物館の大規模なコレクションのうち、一般に公開されているのは一部だけである。日本美術も幕末の浮世絵など2万点近くのコレクションがある[2]。
- 日本コレクション
1993年、国際日本文化センターにより行われたプラハにある日本美術の調査では、下記の日本コレクションがナープルステク博物館に所蔵されているとの報告がある[5]。
- 木版画 - 約6700点。その中に上方版画570点を含む。
- 絵画と墨描きスケッチ - 数百点
- 漆器約400点と根付200点
- 陶磁器 - 950点、主として肥前磁器(伊万里)
- そのほかの工芸品 - 刀の鐔450点、染色用型紙約800点、民俗資料など
所在地
[編集]脚注
[編集]- ^ ヤロスラフ・サイフェルト 関根日出雄・飯島周訳 (1998). この世の美しきものすべて. 恒文社
- ^ a b “チェコスロバキアにおける日本美術”. www.nichibun.ac.jp. 2019年4月13日閲覧。
- ^ a b 海外日本美術調査プロジェクト報告3. (1994)
- ^ a b Muzeum, Národní. “Náprstek Museum of Asian, African and American Cultures”. National museum. 2019年4月14日閲覧。
- ^ 海外日本美術調査プロジェクト報告3. 国際日本文化研究センター. (1994)
- ^ a b “ナープルステク博物館(アジア、アフリカ、アメリカの文化) (Náprstkovo muzeum)”. Prague.eu. 2019年4月19日閲覧。
- ^ 田中充子 (2001). プラハを歩く 岩波新書757. 岩波書店
注釈
[編集]- ^ 創立者の名前はヴォイタ以外の表記も見られる:Vojtěch:ヴォイチェハ(チェコスロバキアにおける日本美術)、ヴォイテェフ(プラハ市公式観光ポータル)
参考文献
[編集]- ナープルステク博物館所蔵 日本美術品図録(日文研叢書 4、海外日本美術調査プロジェクト報告 3) 国際日本文化研究センター 1994