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ジョン・マレー (第2代ダンモア伯爵)

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第2代ダンモア伯爵ジョン・マレー英語: John Murray, 2nd Earl of Dunmore 1685年10月31日 - 1752年4月18日)は、イギリスグレートブリテン王国)の貴族軍人

チャールズ・マレー卿の次男として生まれる。父は初代アソル侯爵ジョン・マレー英語版の次男であり、1686年に初代のダンモア伯爵に叙された。

1704年、兄ジェイムズ(フィンキャッスル子爵)の死により法定推定相続人となり、1710年に襲爵した[1]

スコットランド貴族代表議員として貴族院に2度にわたって議席を得た(1713年から1715年、1727年から1752年)[1]

1719年、四国同盟戦争ビーゴ占領戦において指揮官として参加[2]

生涯未婚で通し、1752年に死去。弟のウィリアムが第3代伯爵となった[1]

脚注

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  1. ^ a b c Charles Mosley, ed., Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th ed., vol. 1, (Burke's Peerage, 2003), p. 1232
  2. ^ Brendan Simms, Three Victories and a Defeat: The Rise and Fall of the First British Empire (Penguin Books, 2008), p. 141
軍職
先代
第2代ロジアン侯爵
近衛歩兵第3連隊
1713年–1752年
次代
第10代ロセス伯爵英語版
先代
チャールズ・チャーチル英語版
プリマス総督英語版
1745年–1752年
次代
サー・ジョン・リゴンアー英語版
スコットランドの爵位
先代
チャールズ
ダンモア伯爵
1710年–1752年
次代
ウィリアム