ジュール=エルキュール=メリアデック・ド・ロアン
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ジュール=エルキュール=メリアデック・ド・ロアン Jules-Hercule-Mériadec de Rohan | |
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ゲメネ公 | |
モンバゾン公爵、ヨハン・エルンスト・ハインジウス画、1776年 | |
在位 | 1757年 - 1800年 |
出生 |
1726年3月26日 フランス王国、パリ |
死去 |
1800年12月10日(74歳没) 墺領ネーデルラント、カルルスブール |
配偶者 | マリー・ルイーズ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ |
子女 | アンリ=ルイ=マリー |
家名 | ロアン家 |
父親 | ゲメネ公エルキュール=メリアデック |
母親 | ルイーズ・ド・ロアン |
ジュール=エルキュール=メリアデック・ド・ロアン(Jules-Hercule-Mériadec de Rohan, 1726年3月26日 - 1800年12月10日)は、ブルボン朝末期フランスの貴族、廷臣。モンバゾン公爵、のちゲメネ公。枢機卿ルイ=ルネ=エドゥアール・ド・ロアンの兄。
生涯
[編集]ゲメネ公エルキュール=メリアデックと、同族のスービーズ公エルキュール=メリアデックの娘ルイーズ・ド・ロアンの間の長男。1743年2月19日にパリで、ブイヨン公シャルル・ゴドフロワの娘で富裕な女子相続人だったマリー・ルイーズと結婚[1][2]。フランス軍に仕え、陸軍中将に至った。オーストリア継承戦争中のベルヘン・オプ・ゾーム攻囲戦などに従軍した。
フランス革命が勃発すると、息子アンリ=ルイ=マリー(1745年 - 1809年)の一族と共に国境を越え亡命、墺領ネーデルラントに妻方ブイヨン公家が所有するカルルスブール(現ベルギー領リュクサンブール州パリスールの一部)で死んだ。家族は彼の死後、墺領ボヘミアに移住した。
引用・脚注
[編集]- ^ Paul Theroff. “La Tour d’Auvergne”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2020年1月4日閲覧。
- ^ JULES Hercule Meriadec, 7th Duc de Montbazon, Pr de Guéméné(1726-1800),Genealogy.euweb.Rohan5.
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