ジャン=ヴィクトル・ド・ブザンヴァル・ド・ブルンシュタット
ジャン=ヴィクトル・ド・ブザンヴァル・ド・ブルンシュタット(Jean-Victor de Besenval, baron de Brünstatt, 1671年6月26日[洗礼日] ゾロトゥルン - 1736年3月11日 パリ)は、フランスの陸軍元帥、連隊長、政治家及び大使。スイス出身。
生涯
[編集]同名の父ジャン=ヴィクトル・ド・ブザンヴァル・ド・ブルンシュタット(1638年 - 1713年)の長男。2人の弟ピエール=ジョゼフ(1675年 - 1736年)とカール=ジャコブ(1677年 - 1738年)がいる。生地ゾロトゥルンのイエズス会系学校を卒業後、ギャルド・スイスの士官候補生となる。1689年ゾロトゥルン州議会議員及びアルト=サリス(Alt-Salis)・スイス人連隊の大尉となる。1691年フランス陸軍の歩兵大佐、1704旅団長に昇進。1705年聖ルイ勲章騎士章を授かる。1710年陸軍元帥に就任。
1707年、フランス臨時大使に任命されスウェーデン王カール12世の宮廷に派遣される。1709年にはポーランド王スタニスワフ・レシュチンスキの許に派遣される。1711年北欧諸国への特命全権公使に転じる。1713年から1721年まで、ポーランドのアウグスト強王の宮廷への大使を務めた。ポーランド大使在任中の1716年、同国の宮内長官カジミェシュ・ルドヴィク・ビェリンスキの娘カタジナ・ビェリンスカと結婚。カタジナはアウグスト強王の寵姫マリアンナ・デーンホフの姉であった。夫婦の間には息子のピエール=ヴィクトル(1721年 - 1794年)が生まれている。
1719年フランス軍の陸軍少将、1722年陸軍中将となる。1722年から1736年までギャルド・スイスの連隊長を務めた。
家族と共にヴァルデック城[1]及びパレ・ブザンヴァルを所有した。
参考文献
[編集]- Andreas Fankhauser: Johann Viktor Besenval von Brunnstatt. In: Historisches Lexikon der Schweiz.
- Rodolphe de Castella de Delley: Le régiment des Gardes-Suisses au service de France du 3 mars 1616 au 10 août 1792. Fribourg 1964, OCLC 469425544, S. 280.
- Andreas Fankhauser, «Die Patrizierfamilie von Besenval und ihre Sommerresidenz Schloss Waldegg», in Schloss Waldegg bei Solothurn, 1991, S. 17–20.
引用
[編集]- ^ Andreas Fankhauser: Johann Viktor Besenval von Brunnstatt. In: Historisches Lexikon der Schweiz.