クリスティン・ア・ダンマーク (ノルウェー王妃)
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クリスティン・ア・ダンマーク Kristin Knutsdatter af Danmark | |
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ノルウェー王妃 | |
在位 | 1132年 - 1133年 |
出生 |
1118年ごろ |
死去 |
1139年 |
結婚 | 1132/3年 |
配偶者 | マグヌス4世 |
家名 | エストリズセン家 |
父親 | クヌーズ・レーヴァート |
母親 | インゲボルガ・ムスチスラヴナ |
クリスティン・クヌーツダッタ・ア・ダンマーク(デンマーク語:Kristin Knutsdatter af Danmark, 1118年ごろ - 1139年)は、デンマーク王女でノルウェー王マグヌス4世の妃。
生涯
[編集]クリスティンはクヌーズ・レーヴァート(デンマーク王エーリク1世の息子)とインゲボルガ・ムスチスラヴナの娘である[1]。クリスティンとマグヌス4世の結婚は、クリスティンの母方の叔母でマグヌス4世のかつての継母にあたり、このときクリスティンの父方の叔父エーリク2世の妃となっていたマリムフリダ・ムスチスラヴナにより決められた。クリスティンは1131年に婚約し、1132年もしくは1133年に結婚した。
マグヌス4世は、デンマーク王ニルスとの戦いにおいてクリスティンの父クヌーズと叔父エーリク2世を支持した。1133年、叔父エーリク2世と妃マリムフリダはマグヌスの保護を求めデンマークからノルウェーに逃亡した。しかし、クリスティンは夫マグヌス4世が叔父夫妻を裏切る計画を立てていることを知り2人に警告し、エーリク2世と妃マリムフリダはマグヌス4世と対立していたノルウェー王ハーラル4世と同盟を結んだ。その後、マグヌス4世はクリスティンと離婚した[1][2]。
脚注
[編集]- ^ a b “Kristin Knutsdatter”. Store norske leksikon. 2023年1月22日閲覧。
- ^ “Magnus 4. Sigurdsson Blinde”. Store norske leksikon. 2023年1月22日閲覧。
参考文献
[編集]- Henrikson, Alf (1989) (スウェーデン語). Dansk historia. Bonnier
- Rosborn, Sven (1997) (スウェーデン語). När hände vad i Nordens historia. MånPocket
- Helle, Knut (1995). Aschehougs Norgeshistorie. Bd 3. Under kirke og kongemakt
- Nils Petter Thuesen (2003). "Magnus 4 Sigurdsson Blinde", Norsk biografisk leksikon, 2. utg. Bd 6.
- “Magnus 4. Sigurdsson Blinde”. Store norske leksikon. 2023年1月22日閲覧。
- “Kristin Knutsdatter”. Store norske leksikon. 2023年1月22日閲覧。