コンテンツにスキップ

クリスティン・ア・ダンマーク (ノルウェー王妃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリスティン・ア・ダンマーク
Kristin Knutsdatter af Danmark
ノルウェー王
在位 1132年 - 1133年

出生 1118年ごろ
死去 1139年
結婚 1132/3年
配偶者 マグヌス4世
家名 エストリズセン家
父親 クヌーズ・レーヴァート
母親 インゲボルガ・ムスチスラヴナ
テンプレートを表示

クリスティン・クヌーツダッタ・ア・ダンマークデンマーク語:Kristin Knutsdatter af Danmark, 1118年ごろ - 1139年)は、デンマーク王女でノルウェー王マグヌス4世の妃。

生涯

[編集]

クリスティンはクヌーズ・レーヴァートデンマーク王エーリク1世の息子)とインゲボルガ・ムスチスラヴナの娘である[1]。クリスティンとマグヌス4世の結婚は、クリスティンの母方の叔母でマグヌス4世のかつての継母にあたり、このときクリスティンの父方の叔父エーリク2世の妃となっていたマリムフリダ・ムスチスラヴナにより決められた。クリスティンは1131年に婚約し、1132年もしくは1133年に結婚した。

マグヌス4世は、デンマーク王ニルスとの戦いにおいてクリスティンの父クヌーズと叔父エーリク2世を支持した。1133年、叔父エーリク2世と妃マリムフリダはマグヌスの保護を求めデンマークからノルウェーに逃亡した。しかし、クリスティンは夫マグヌス4世が叔父夫妻を裏切る計画を立てていることを知り2人に警告し、エーリク2世と妃マリムフリダはマグヌス4世と対立していたノルウェー王ハーラル4世と同盟を結んだ。その後、マグヌス4世はクリスティンと離婚した[1][2]

脚注

[編集]
  1. ^ a b Kristin Knutsdatter”. Store norske leksikon. 2023年1月22日閲覧。
  2. ^ Magnus 4. Sigurdsson Blinde”. Store norske leksikon. 2023年1月22日閲覧。

参考文献

[編集]
  • Henrikson, Alf (1989) (スウェーデン語). Dansk historia. Bonnier 
  • Rosborn, Sven (1997) (スウェーデン語). När hände vad i Nordens historia. MånPocket 
  • Helle, Knut (1995). Aschehougs Norgeshistorie. Bd 3. Under kirke og kongemakt 
  • Nils Petter Thuesen (2003). "Magnus 4 Sigurdsson Blinde", Norsk biografisk leksikon, 2. utg. Bd 6.
  • Magnus 4. Sigurdsson Blinde”. Store norske leksikon. 2023年1月22日閲覧。
  • Kristin Knutsdatter”. Store norske leksikon. 2023年1月22日閲覧。