クトゥブッディーン・ハーン・コーカ
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クトゥブッディーン・ハーン・コーカ(Qutb-ud-Din Khan Koka, 生年不詳 - 1607年5月20日)は、北インド、ムガル帝国のベンガル太守。クトゥブッディーン・コーカとも呼ばれる。
生涯
[編集]父はバダーウーンのシャイフザーダ、母はサリーム・チシュティーの娘であった。また、帝国の皇子サリーム(のちの皇帝ジャハーンギール)の乳兄弟であり、乳兄弟を意味する「コーカ」の称号を持った。
1606年9月2日、ジャハーンギールによりベンガル太守に任命される。だが、バルダマーンにいたシェール・アフガーン・ハーンはその権力に公然と反抗したため、両者は仲が悪くなっていった[1]。
1607年5月20日、クトゥブッディーン・ハーンがシェール・アフガーン・ハーンのもとに赴いていさめようとした際、両者は口論となって、シェール・アフガーン・ハーンに剣で殺害されてしまった[1]。シェール・アフガーン・ハーンもまた、その場にいた衛兵に殺人者として処刑された[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- アンドレ・クロー 著、杉村裕史 訳『ムガル帝国の興亡』法政大学出版局、2001年。