カーキ選挙

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ウェストミンスター・システムにおけるカーキ選挙(カーキせんきょ、英語: Khaki election)とは戦争に大きく影響された選挙を指す[1]第二次ボーア戦争の最中に行われた1900年イギリス総選挙が最初の用例であり、イギリス陸軍が1896年に軍服に採用したカーキ色に由来する[1]。野党が戦争を遂行する与党を批判せざるを得ないため、与党は野党に愛国心が足りないと簡単に中傷することができ、伝統的には野党が勝利しにくいとされている[1]

イギリスでは1900年の総選挙のほか、1918年第一次世界大戦)、1945年第二次世界大戦)の総選挙を指すこともある。1918年の総選挙ではデビッド・ロイド・ジョージ率いる連立派が大勝、1945年の総選挙では戦中指導者であったウィンストン・チャーチル擁する保守党が労働党に大敗し、政権交代を起こした。ただし、イギリス軍は1900年6月にトランスヴァール共和国の首都プレトリアを占領しており、トランスバール大統領ポール・クリューガーもヨーロッパで亡命していたため、1900年の総選挙時点では戦争終結が近いとみなされていた[1]

イギリス以外では1917年カナダ総選挙英語版が第一次世界大戦中に行われ、カーキ選挙と呼ばれた[2]

出典[編集]

  1. ^ a b c d Mason, Ian Garrick (31 October 2004). "Kerry needn't settle for honorable defeat". San Francisco Chronicle (英語). 2024年3月8日閲覧
  2. ^ James, Alanna (Fall–Winter 2012). "Prince Edward Island and the 1917 Election: Part Two". The Island Magazine (英語) (70): 23. 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。